
「売れない時代」に、なぜ売れる物が存在するのか?
日本人の研ぎ澄まされた感覚。
「古池や蛙飛び込む水の音」こういう情景を五七五で謡った「俳句」を作る感性などを国民全員が持ち合わせている国は日本だけです。また、相手の「ホンネ」を「察する」ということを重要視している国も日本だけです。相手は相手、自分は自分、違っていて当然だから「自己主張」しなければ分かり合えない。察するなんてテレパシーのようなことができるはずがない。だからこそ、自分の考えていることの「説明力(プレゼンテーション力)」が必要になるのだ!などと考える欧米の人にはまったく分からない感覚かもしれません。これはセールスマンの対応にも期待される感覚です。察しの悪い人=仕事ができない人。などという感覚は、まったくもって日本人独自のものなのです。
業績を上げている企業は、これらの感覚を上手に商売に活用しています。売れている商品をいくつかみつけてきたら、その商品から「売れている条件」を「古池や蛙飛び込む水の音」の感覚で「こことここが売れるポイントだ!」という風に、すばらしい「感覚的な着眼力」を駆使して、共通項だけを切り取るのです。それらの商品に、さらに不満をみつけ、そこを改良した商品を出す。これが「日本流・統計式・商売」だといえます。必要な売れる要素をしっかりと押さえる。そのうえに若干の独自性を加えるのが日本流の「商い」なのです。
つまり、この「情緒的感性」を磨いていなければ、いつまでたっても「日本というマーケット」で売れる状態を作ることができないわけです。日本人は、すばらしい「アナログ的な感性」を兼ね備えた民族です。ですから「統計」をとる場合も「アナログ的な感性」で、統計をとっていかなければなりません。そこがわからなければ、いつまでたっても「察しの悪い人」「察しの悪い企業」と評価されてしまうのです。
言葉は潜在意識から生まれた。
ノコギリで木を切る音は「ギコギコ」。チョウチョがとんでいる様子は「ひらひら」。
こういう言葉は、残念ながら欧米には存在しません。言葉がないから「音」をマネするしかないわけです。言葉は、その国の自然を含む環境で先祖代々育ってきた人たちの感性が培った「潜在意識の証明」でしかないのです。いってみれば日本人は「アナログ感覚」の研ぎ澄まされた民族であるといえます。
欧米型のマーケティングでは「デジタル感覚」の感覚しか存在しません。情緒を感じるという能力が日本人以上に優れている民族はいないのです。情緒で表現できないので「シンプル」に「数」などの「デジタル的な単純分類」をするわけです。ですから統計などをする場合ば「数値」が基本になります。これが欧米型のマーケティングの基本となっています。売れたか売れていないかは「POSデータ」などで確認してお終い。売れた。売れなかった。以上!ということになってしまうわけです。
ところが日本人は「様子」を「表現すること」ができます。お客様が、自社商品を手に取ったが競合商品と比べて、競合商品を選んだのか? まったく目もくれなかったのか? その様子さえも改善できる「感性的眼力」を持ち合わせているのです。こういう市場の中で様々な競合商品が戦っています。つまり、欧米よりも「繊細で、詳細な闘い」がそこにあるわけです。そこに大ざっぱな欧米のマーケティング理論をいくら持ち込んでみても、お客様がついてこなくなってしまうわけです。

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