「売れてしまう理由」

2)「トコトン分けること」に こだわる




Chapter-1 「単純販売」と「戦略的販売」



(1)「ただ売るだけ」では売れなくなった。 


「販売」自体が、進化しているのです。

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  • その劇的な事件が起ったのは、今から50年も昔の話、「1961年」のアメリカでのできごとです。プリンターズ・インク誌は「新しい販売戦略、その戦略の方針が【新しい販売】を作り上げてしまった」と大きな見出しで報じたのです。
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  • 前書きには、こう書いてありました。
  • 「(前段略)  アメリカに生まれた新しい電話会社、ゼネラル電話は、アメリカ最大の電話会社、ベル・システムより数億ドルも小さな会社である。しかし、成長力は、逆にベル・システムより大きい。その成功の秘訣は、その商品販売戦略にあるといえる。ベル・システムが「電話」を売ろうとしているのに対して、ゼネラル電話の販売戦略は、こうである。「商品を売ろうとするな。コミュニケーション・サービスを売ることに徹底せよ。」
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  • ようするに「電話を買え」とはいわずに、ゼネラル電話が持っている「サービス」を「商品」と位置づけてしまえば、電話という商品は勝手に売れていってしまう。という「販売戦略方針」を打ち立てたのです。この「方針」にのっとって「広告」や「店頭」で、徹底して「電話を使うと、こんなに愉しいコミュニケーションができる」という「ライフ・スタイル」を提案したのです。
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  • この「販売戦略方針」は、ゼネラル電話の社長であった「DCパウワー」氏によって、1951年に企画されたものだそうです。パウワー氏は「販売総括担当」でもあった副社長の「サリバン」氏に対して「電話機を売るのは直ぐに止めて欲しい。その代わり、コミュニケーション・サービスを売ることを直ちに開始してくれ。新聞の広告文章においても、ポスターや看板などの表現においても、直ちにこの「販売戦略方針」で実行するのだ。」と指導したのだそうです。
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  • 後に、サリバン副社長はこう述べています。
  • 「ビジネス・ワークとは、完全なる「商品の潜在能力」を活用し尽くして、エンドユーザーの「完全な満足」を産み出そうとする企業活動のことである。」
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  • その後、アメリカの通信会社は「新しい需要」を開拓するために、恐ろしいほどのPR予算を使いました。そのPRの方法は、「たとえば、こんな風に困った時は、こうしてください。」という「潜在ニーズに対する、徹底的なアプローチ」だったのだそうです。一例をあげると「長距離出張を心配している奥さんが、出張先に安全に到着した夫の声を聞いて安心している様子」を表現したり、「迷子になった子どもが、電話ボックスに入って、緊急ナンバー(警察)に電話をすると、警察官がすぐに保護にきた様子」といったもので、押しつけがましいPRではなく「困った時にこんなに便利に対応できるものだ」という「コミュニケーション・サービス」を徹底してPRしたといいます。
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  • これが「有線電話ネットワーク」が世の中で始めて普及されていった「50年も昔」に発明された「販売戦略」というものですから驚くべき話です。携帯電話のネットワークが国中に普及されている現代から考えると、恐ろしいほどに「古い話」であることに違いありません。
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  • しかしながら、こういう「売り方」が「当たり前」になって、50年という歳月が経っているのです。にもかかわらず、未だに「ライフスタイル」や「サービス」を販売せずに「商品そのもの」をやみくもに販売しておいて「うちの商品は、売れない・・・」「この性能の高い商品は、売れるはずなのに売れない・・・」と、困っていらっしゃる方も大勢いらっしゃるのが実態のようです。
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  • これは、「商品」が悪いのではなく「売り方が悪い」ということでしかありません。単純に考えれば「製品のまま」売っていても売れないわけです。その製品を使うと「こんなステキな生活シーンが手に入る」ということを訴求できないものは「製品」のままを販売しているだけで、「商品」を販売しているとは言えないのです。エンドユーザーは「捕れたての生魚」よりも「新鮮な刺身の盛合せを食べるステキな生活シーン」を欲っしているわけですし、単に「性能の良い自動車」ではなく、「故障のない車でレジャーに出かけるステキな生活シーン」を欲しているのです。
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(2)ニーズを作り出す方法


「販売戦略方針」とは「考え方」のことです。

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  • 一般に需要が満たされると、充足された環境ができあがります。充足された環境ができあがる、つまり、多くの人が「それ」を手に入れているわけですから、その状態のままでは「それ」が売れることはなくなります。こうなると「販売のしかた」を変えない限り「それ」が売れることはなくなってしまいます。テレビを1人が2台持つことが「ぜいたく」だと考えられているような時に、今までの販売方法では、それ以上、携帯電話が売れていくことはないのです。
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  • そこで、1人に2台ずつ携帯電話が「必要だ」と感じさせる商品販売戦略が必要になってくるわけです。それは携帯電話の「ワンセグ化」によって実現されました。小さな「携帯電話」でテレビ番組を見る事ができるようになると、移動中でもテレビ番組を見る事ができるようになったのです。
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  • 都市部では、自動車を1家に1台持つことでさえ贅沢だと考えられているようですが、公共交通網の整備されていない地方にいくと、1人1台の自家用車を所有することは自然だと考えられるようになっています。興味深いことは、家を持っていない賃貸マンションなどに住んでいる家族でさえ、1人に1台ずつの自動車を所有しているということです。こういう人は、家よりも先に自家用車が欲しいという考え方(感じ方)をしているわけです。
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  • 「販売戦略」というものは、一般的に「販売を行うための【考え方】のこと」です。人間というものは「考え方(感じ方)」に制約されてしまう傾向があり、「考え方(感じ方)」が変れば、行動までがガラリと一変してしまうものです。その例をいくつかあげてみたいと思います。
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  • 例えば「ヘアカラー」もその一例といえるでしょう。かつて「髪の毛の色を変えて仕事をする人」といえば、昼に一般企業の仕事を持っていない「水商売」の方々のみでした。つまり、一般的には「よろしくないこと」だったのです。ところが、毛染商品を扱う会社が、この常識にソフトに根強く「若々しくなる」「オシャレになる」というPRを通して根強く挑戦したのです。
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  • たしかに、美容室の技術向上や、ファッション雑誌、テレビタレントなどの大いなる影響も背景にあったようですが、一般家庭においても「自分で、自然な仕上がりにカンタンに仕上がる」という告知を続けることで「水商売」の人しか使わなかった「毛染薬」が、一般家庭でも、ごく当たり前に使われるようになったのです。専門的な言い方をすれば「市場が大幅に拡大した」ということになります。
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  • 毛染商品を作るメーカーは、「毛染商品」そのものを売ろうとしたのではありません。前項で、電話会社が「電話」そのものを売ろうとせずに「コミュニケーション」を訴求したように、毛染商品メーカーは「毛染商品」そのものではなく「若々しさ」「ファッション」というものを訴求することで、自然に「毛染商品を購入するように、自らの手で市場を変えていった」のです。
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  • 同じような例が「缶コーヒー」です。そもそも「コーヒー」というものは「贅沢品」で、豆を使った本物のコーヒーを飲めるのは「コーヒー専門の喫茶店」のみでした。一般家庭では、そのような「贅沢品」を味わえるわけでもなく、一般的には「インスタント・コーヒー」というものが普及しました。コンビニエンス・ストアーの普及により、本物の豆でいれたコーヒーの味が缶コーヒーで愉しめるようになりました。市場が変ったのは「サントリー」の「BOSS」の登場からです。「仕事で煮詰まった時に飲む」というTPOの訴求が始まったのです。
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  • 続いて「明日があるさ、ジョージアで」というキャッチコピーとともに、コカ・コーラ・ボトリングが、このPRに追従しました。そこに、まったく新しい切り口で「朝専用」というコーヒーが登場しました。「アサヒ飲料」の「ワンダー・モーニングショット」です。コンビニエンス・ストアーの店頭ポップ、自動販売機のPOP。テレビ、ラジオ、駅貼りポスターなどで、大々的なPRがスタートしました。
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  • いうまでもありませんが、これは「缶コーヒー」の飲み方に対するエンドユーザーの考え方、感じ方を変えようとする「販売戦略」なのです。缶コーヒーは、非常に広い市場で愛飲されていましたが、「ひと息つく」ためのものであって、「朝、気合いを入れる飲み物」ではなかったのです。そこで、アサヒ飲料は、自社の缶コーヒーを「朝食の時に飲ませよう」そうすれば売上はぐんと伸びると考えたわけです。
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  • このようにハッキリとした「販売戦略方針」があり、その「販売戦略方針に基づいた、戦略や戦術」が需要を喚起すれば、販売の増強にもつながりますし、メーカー間の熾烈競争を有利に運べるのです。従来のマーケティング戦略を導入してもうまくいかない。と一般的に考えられているようですが、そもそも「販売戦略方針」があってこその「マーケティング」であり「広告戦略」であり「販促戦略」であることを見逃してはならないのです。
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(3)商品ではなく「概念」こそが戦略


「口紅」は、化粧品ではないのです。

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  • 100年ほど昔に生まれた「自動車」というものを歴史的に調べていくと、そもそも「幌馬車」が原点だったことがわかってきます。かつては、馬に「馬車」を引っ張らせて荷物を運んでいたわけですが、この馬が「エンジン」に変っていったのです。ガソリン機関が生まれる前は、水蒸気が動力になっていたという歴史もあるようですが、そういった技術的な話は横においておきましょう。原点を見ると「自動車」が「荷物を運ぶ運搬機関」であったことがハッキリしてきます。つまり、トラックこそが「自動車」の原点だったのです。
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  • 1950年代初期に、アメリカで「自動車は、アメリカ人にとって何を意味しているのか?」という大々的な調査が行われました。その結果がレポートとして新聞などで大々的に、こう発表されています。このレポートは「商品に対する考え方に対して、革命的な変化をもたらした」として、マーケティングを専門とするコンサルタントや、学者の間では、あまりにに有名な話です。
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  • ゼネラル・モータースの「キャデラック」が【成功者のシンボル】として見られていたことが、この調査によって判明したのです。現在の日本でもドイツのメーカー「メルセデス・ベンツ」の「Sシリーズ」や、イギリスのメーカー「ジャガー」の「XJシリーズ」が「成功者のシンボル」として見られています。また「六本木ヒルズ」に住居を構えることも「成功者のシンボル」となっていることはいうまでもありません。
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  • ここで大切なのは「商品」というものは「メーカー(生産者)」によって「商品以外の価値観」を意味づけられているのではなく、「エンドユーザー」によって「商品機能以外の意味づけ」が行われて成立しているということです。メーカーのほうで、いくら「高機能商品」だの「美味しい商品」だのと意味づけられても、エンドユーザーは「商品機能以外の理由」があってこそ、その商品を購入しているという事実を見逃してはならないのです。
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  • 1965年頃の話ですが、日本で「家庭用ドライヤー」というものが発売されました。それまで、ドライヤーは「理容店」や「美容室」の「プロ」が「アメリカ製の商品」を輸入して使っていたのだそうです。日本の家電メーカーは「女性用商品」として「日本製の家庭用ドライヤー」を発売しました。ところが、こぞって購入したのは「男性」だったのです。当時「リーゼント」というヘアースタイルが流行していました。銀幕のスターであった「ジェームズ・ディーン」のしていた、あのヘアースタイルです。最近の若い方々には「氣志團」のヘアースタイルといったほうがわかりやすいかもしれません。
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  • 当時の男性用整髪料は「ポマード」「チック」「ヘアリキッド」といった整髪力の弱いもので、あのヘアースタイルにしようとした場合、どうしてもヘアー・ドライヤーを使う必要があったのでしょう。さらに、男性の「ファッション性」というものが、若い男性の中で芽生えていたことも流行の後押しになったのだろうと思われます。
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  • 今でこそドラッグストアなどの陳列のみになっていますが、1932年、アメリカの大恐慌の中で生まれ世界中の化粧品メーカーの規範となった「レブロン」は、当時は「シャネル化粧品」ほどのポジションでした。創業者の「チャールズ・レヴロン」は、当時、こう言い放ったことで有名です。
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  • 「口紅は化粧品ではなく、ファッションである。」
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  • 今から、60年も前に、こういう考え方が「販売というビジネス」の「基本」になっていたのです。
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(4)100年前の「大企業」の「大失敗」


「マーケット(市場)」が変れば「ニーズ(需要)」も変る。

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  • 1908年という時代の話ですから、100年も大昔の話になります。アメリカで生まれた「大量生産型、自家用車」【フォードT型】、この近代的な生産技術の成功に最初に成功したのが、ヘンリー・フォードが創立した「フォード」という企業です。市場に発表されたのが、1908年。そこから「アメリカ人の堅実な愛用者」として、アメリカ市場はもちろん。世界で君臨したのです。
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  • 大量生産という「世界初の方法」で、販売価格の切り下げに成功して、世界でに何百万台もの「T型フォード」を販売したのです。つまり、超ロングセラーである、ベストセラー商品を産み出したのです。しかしながら、あまりにも長期間にわたる成功というものは「過信」を増長されてしまうものらしくが、フォロードは、自動車作りに「黒一色、堅実で、価格訴求(当時500ドル=18万円)」にのみこだわったのです。
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  • 1925年、GMシボレーは、その「フォード」を追い抜いてしまいました。当時500ドルだったフォードを追い抜いた車の価格は「600ドル」。100ドルも高い値段で売り出された「真っ赤なスポーツカー」だったのです。いつの間にか「マーケット(市場)」の「ニーズ(需要)」、わかりやすくいえば「お客さん」の「好き嫌い」は、真面目、堅実、安い、というフォードの提供するものとは変っていました。
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  • 後にハーバード大学で教鞭をふるった、GMのT・レビットは、当時のヘンリー・フォードに対してこのように著書の中で述べています。
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  • 「・・・・・ ある意味で、フォードは、アメリカ市場、もっとも輝かしい販売強化戦略を用いたと同時に、また、もっともセンスのない販売強化戦略を用いた。フォード氏は、エンドユーザーに対して、黒い自動車以外、何ひとつ与えなかったからだ。つまり「作り手発想のビジネス(商売)」を行ったのだ。こんなにセンスのないことはない。そして、なぜ、輝かしい販売強化戦略を用いたかといえば、彼こそ、世界で最初に「大型商品の大量生産」というマーケットの需要に適するシステムを作り上げたからである。」(「マーケティングの革新」著/T・レビット 初版・1962年)
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  • この「職人思考型」の「フォードの販売強化戦略」は、クライスラーに引き継がれました。1933年当時は、30%のシェアを誇り、シボレーに次いで第2位の地位にあったクライスラーは、1962年ごろには、シェアをわずか9.6%にとどめる状態でした。アメリカ市場は「米モーター・ショー」などからも姿を消してしまうのではないかと思ったそうです。しかし、そこでクライスラーは「販売に対する考え方」を変えたのです。
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  • 1962年には、生産台数63万台という最低記録を樹立したクライスラーが、1968年には、150万台の生産量を誇るまで回復したのです。この「衝撃のカムバックのための5年」を振り返った当時の社長「ジョージ・ラブ」は、ニューズ・ウィークの記者に対してこう述べています。(1968年5月2日掲載)
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  • 「生産・技術面もさることながら、販売強化戦略がより重要になっているという新しい事実を見過ごしていたことが、当時の我が社の最大の失敗の原因だった。」
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  • これらを、カンタンにいえば「良いものを作っていれば売れないわけがない」という「職人気質の頑固頭」でビジネス(商売)を続けていても、需要が満たされてしまったら、マーケット(お客さんの気持)が変ってしまう。そうなってしまえば「いくら職人の腕が良くても、売れなくなってしまう。」ということなのでしょう。
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  • ここで大切になるのは、これらの「失敗と成功」の背後に「販売強化戦略」というものが大きな役割を果たしていることがハッキリしてきます。「販売強化戦略」というものは、一度確立すると必ず固定化する傾向があります。しばらくは、それで良いかもしれません。いいえ、劇的な売れ方をしているのであれば、まさに「時代のニーズ」に応えているわけですからベストな状態だといえるでしょう。
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  • しかし、この「販売強化戦略」をどの程度維持するのかが「難問」になってくるわけです。エンドユーザーのニーズも、競合企業の動きを受けて絶えず変化し揺れ動いています。問題は、そこに「変化」があった時に、この「固定化され、しかもそれまで成功の一途をたどっていた戦略方針」を変更する「柔軟性」というものが、それまでの「実績」と、相反するということなのかもしれません。
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  • 確かに「誰にとっても良いものを作っていれば爆発的に売れる時期」もあります。それは「マーケットが成長している時期」の話です。そして、マーケットがその需要で満たされた時に「マーケットが細分化される」ということも事実です。
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  • こういった「マーケティングの歴史」を把握しておけば、「同じ轍を踏む戦略」を立案することが、いかに「ナンセンス」であるかが明らかになるのかもしれません。
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(5)職人気質が、時代遅れを招く


アメリカの自動車産業の近代経営史

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  • 100年に一度と言われる「リーマン・ショック」により、アメリカの経済が大打撃を受け、世界での経済がとんでもないことになりました。このリーマンショックにより、アメリカの自動車産業を支える「ビッグ・スリー」と呼ばれる企業が、大変な状態に追い込まれてしまいました。これは「リーマン・ショック」によるもの・・・という考え方をする人も多いようですが、実はそうではないのです。近代の経済の歴史を把握している人ならば、この「ビッグ・スリー」の失敗は「二の轍を踏んだ事態」としか言いようがないのです。
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  •  1960年から1970年にかけての約10年。まったく同じようなことがアメリカ国内で起っています。今回の事件は、それが「世界規模になった」ということでしかありません。1960年代初頭、「職人が良いと思うものでは売れない。エンドユーザーが欲しいと感じるものを作らなくては、業績は伸びない」ということを失敗を乗り越えて学んだ「ビッグ・スリー」。これらの企業は、エンドユーザーのニーズについて毎年、数百万ドルもの費用を投じて調査をおこなっていました。しかし、この調査についてシボレーのT・レビット氏は、こういうことを言っています。
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  • 「・・・ ビッグ・スリーが、コンパクト・カーの分野に乗り込んだ当初、すでに新しいコンパクト・カーが、あれほどの売行きを示していたという事実がある。デトロイトの膨大な調査資料の存在は、長い間【エンドユーザーが、どういうものを望んでいるのか】を明らかにすることができなかったという根拠にしかならないのである。デトロイトは、米国内のメーカーや、他の国のコンパクト・カーを製造しているメーカーたちに、数百万人の客を取られてしまうまで、エンドユーザーの気持に沿ったものを作ってこなかったのである。
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  •  エンドユーザーの望みとは、まったくかけはなれた、この信じられないほどの「ビジネス感覚の遅れ」を、どうしてこんなにも長い間、気付かなかったのだろうか。(中略) 結論をいえば、デトロイトはほんとうの意味でエンドユーザーの欲求を調査したことは一度も無かったということでしかない。生産者にとって都合の良い調査をいくらしてみたところでビジネスにおいて、望まれる結果を手に入れることはできないのだ。うわべのアンケート調査などでは、苦情などといった本当のニーズとは、全く違うニーズを集めることにしかならないのである。
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  •  自分たちが「作ろう」としているものに対してだけに、 こういった「うわべのアンケート調査」に、数百万ドルをもの資金を投じ、エンドユーザーの嗜好を調査したのみであった。つまり、デトロイトは依然「生産志向的」であって、消費者志向的ではなかったのである。」(「T・レビット著」より)
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  • いまから50年前に、こういう事件がデトロイトで起っています。交通機関の発達や、インターネット網の普及などによって、世界のサイズは小さくなりました。つまり、グローバル化しているのです。なぜ、日本の「トヨタ」が「世界のトヨタ」になったのか。それは、この50年前の事件が、その証明をしているようなものです。トヨタの「商品開発戦略」は、まさに「苦情」を中心とした「エンドユーザーの嗜好」を商品化するものです。当時の「コンパクト・カー」の代表といえば、ドイツの「フォルクス・ワーゲン・ビートル」です。今回の「ビッグ・スリー」の破綻問題は、50年前に「ビッグ・スリー」の間で起った「ドイツの「フォルクス・ワーゲン・ビートル」に市場を奪われた事件」の相手が、単に「日本のトヨタ」に代っただけの話でしかないのです。
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  •  ここに引用した「T・レビット」氏の本は、1962年に発売された50年も昔に書かれた本です。そして、それから約10年、1970年ごろまで、アメリカへの輸入小型車は増加の一途をたどりました。そして、散々、業績を落としてしまった後、1970年を迎えることになって、やっと「ビッグ・スリー」はコンパクト・カーの生産に乗り出したのです。しかしながら、フォードの社長であった「ヘンリー・フォード2世」は、1969年に「雑誌=Fourtune」の記者に対して、こんなことを漏らしています。
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  • 「フォルクス・ワーゲンなどというメーカーの車は、フォードのT型車と同じ過渡的存在で、いずれは市場から見放される運命にあると思い込んでいたが、どうやら、そうではなかったらしい。」
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  •  かつての「アメリカの成功者の証明」であった「キャデラック」が時代を経て、トヨタの「レクサス」に変わり、新しい時代の象徴であった「スター」のシンボル、シボレーのスポーツ・カーが、トヨタのハイブリッド・カー「プリウス」にとってかわられた、2009年。リーマン・ショックで揺れたアメリカは、50年前と同じ轍を踏むことになってしまったわけです。
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  • 多くの会社が「市場調査」をしながら、なかなかヒット商品に恵まれないとボヤいているようですが「生産者嗜好でのアンケート調査」は、まったくビジネスの約に立たないという事実は、50年前に、世界産業の代表といわれていた「アメリカの自動車メーカー3社」によって、半世紀も前に証明されていたのです。そして、歴史を重ね「苦情に応えること」こそが、真のニーズに対するビジネス対応であることを、世界のトヨタが証明しているわけです。
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(6)「その商品」は、何ですか?


購買者の視点から見た「商品づくり」

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  • 最初に「視点」という話から始めたいと思います。人間は長い間「人間とはいったい何か?」と問い続けてきていました。代表的な「格言」を抜粋してみたいと思います。
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  • 「人間は社会的動物である」(アリストテレス)
  • 「人間は理性を持った動物である」(ソクラテス)
  • 「人間は考える葦である」(パスカル)
  • 「人間はシンボルるを操る動物である」(カッシラー)
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  • どれも、短い文章ですが、社会、理性、シンボルといった面で、まったく違った「意味」を示しています。これは、人間を見る「観点」が違っていることの証明です。他にも「人間は宗教的存在である」、「人間は迷える子羊である」などという言葉もあります。これもまた「見る観点」が違っている証明でしかありません。「人間は生まれながらにして罪を背をっている」などという言葉を耳にすると、ずいぶん悲観的な気持にさえなってしまいます。この言葉が「悲観的に見た観点」によって作られた言葉だからです。つまり、これは「人間を見る観点」が違っていれば、人間の「意味」や、人間の「考え方」が変るという証明です。
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  • このことは「商品」に対しても、まったく同じことがいえます。見る角度によって、商品の意味、商品の考え方はガラリと変わってしまいます。その商品を、色々な人が力を合わせて作っているのですから、考え方がバラバラでハッキリしない商品を作っていては、何を作っているのかさえ、作っている人がわからなくなってしまいます。私たちは「商品のあり方」を確認し、その商品の性格に合わせて「販売の戦略」を組み立てていくわけですから「商品に対する考え方」をハッキリさせておくことは、実に重要なことだといえます。
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  • ほんの20年ほど前まで、戦後50年も続いてきた「高度経済成長期」という「物が足りない時代」を経て、現在の「世界有数の恵まれた国」が出来上がってきたのです。たかが20年前の話ですし、当時は「高度経済成長」に合わせた「物が足りない時代の戦略」さえ持っていれば、大成功を治めることができたわけです。「物余り」という、当時とは全く別の市場に変っていても「物が足りない時代の戦略」が未だに通用すると考えている人も少なくありません。「高度経済成長期」は「商品は高い技術の証明である」と考えられてきました。それが、今から70年前〜20年前までの50年間も続いてきたのです。「高い技術を持って生産していれば、間違いなく企業として成功する」という図式がそこに存在していました。
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  • ところが、商品が有り余るほど生産されるようになり、逆に「eco」が時代のトレンドになってしまっています。つまり「生産者志向の戦略」を行えば、「マーケットのニーズとはまったく逆行する時代」になってしまっているのです。商品が有り余るほど生産される現在は「エンドユーザーが好んで購入する商品」と「エンドユーザーが、まるで購入しない商品」に区分されるようになってしまっています。ここでマーケットを客観的に調査していくと「技術的にも優れ、感覚的にも優れた商品」こそ「エンドユーザーが好んで購入する商品」であり、「技術的には優れているが、感覚的に優れていない商品」は、まったく売れていない。逆に「技術的には少々足りないが、感覚的に優れていれば売れている」という実態も浮き彫りになってきます。
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  • つまり「物が足りない時代」は「生産者志向の考え方」で爆発的に売れ、「物が余っている時代」は「エンドユーザー志向の考え方」がなければ売れないということがハッキリするわけです。フォードの「T型」が爆発的に売れた時代は「生産者志向」という「販売戦略」があり、フォードが「T型」で市場を満たした後に、シボレーが「エンドユーザー志向」の真っ赤なスポーツカーを作り出した。アメリカ製の自動車が世界中に普及した後、日本製の「エンドユーザー志向」の自動車が売れているという事実がここにあるのです。
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  • 商品を見る考え方を、最もシンプルに簡潔に行うと「生産者志向の商品」と「エンドユーザー志向の商品」という2つに大別できます。その代表的な例を50ほど後述してまいりますが、商品を見る観点、商品を見る角度は、何十、何百もあります。それぞれの考え方、それぞれを見る観点が、販売戦略を左右する本質的なものを持っているわけです。
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  • もし「あなたが売ろうとしている商品は何ですか?」と質問されたら、あなたは何と答えるでしょうか。この質問に対する答えについては、2通りのパターンに区分されてしまうようです。例えばA社の人は、こう答えます。「この商品は品質が素晴らしく信用するに値する商品です。何しろ伝統があり、技術力の高い会社が作っているのです。価格も高くはありません。」この後に「しかし、正直、あまり売れていないのです。」という言葉が続くから不思議なものです。
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  • この答えは「生産者志向」をしている会社の社員の一律の傾向であり典型でもあります。こういう「考え方」はハッキリいえば、この時代においては「間違い」だといえるでしょう。50年前に大失敗を犯した「T型フォード」とまったく同じ「考え方」、リーマン・ショックで企業破綻が取りざたされている「アメリカの自動車産業」と、そっくりの話でしかないのです。50年前のT型フォードも「ずんぐりした形」で「色は黒のみ」、「実用的で堅実」、まったく「シャレっ気がない商品」だったのです。A社が販売している商品もまた、この「T型フォード」と同じように売れなくなってしまうことでしょう。
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  • 「地道」「真面目」「一生懸命」「実用的」「堅実」というのは「物が足りない時代」の「販売戦略」です。「物が余るほど作られている時代」に、この「物が足りない戦略」を使っていると「時代遅れのパッとしない商品」としかエンドユーザーに映らない商品しか作り上げられません。現在のニーズは、これとはまったく逆行した「eco」を満足するほど「物が余っている時代」なのですから。
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  • さて、B社の人は、こう答えます。「この商品を私どもはこの商品を、嬉しい、愉しい、面白い。優越感に浸れる。ドキドキする。ワクワクする。といったように感覚的に販売しています。私どもが提案・提供しているものは「生活のしかた」であり、商品は、そのシンボルでしかありません。私どもの商品を高価だとおっしゃる人もいらっしゃいますが、これは、それだけブランド・イメージが高いという証明だと自負しております。私どもは、まさにエンドユーザーの求める【生活シーン】を提供しているわけで、エンドユーザーの方々は、大きな満足感を持って我が社の商品を買ってくださっているのです。」
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  • これが「エンドユーザー志向の考え方」です。現在、成功している方々は、B社の考え方、感覚を持ち合わせているのです。
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(7)商品が売れる「戦略の方向」を探る


「アイデア」に頼っても売れる商品は生まれない。

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  • 「パッケージを変えたら商品が売れるようになった」「ネーミングを変えたら商品が売れるようになった」「商品のデザインを変えたら売れるようになった」こんな話はザラにあります。どうしてでしょうか。
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  • 商品のイメージ調査を行っていると、パッケージを変えただけでエンドユーザーは「味」まで変ったと必ず報告するから不思議です。パッケージの色を変えただけで「洗剤の洗浄力が悪くなった」というエンドユーザーもいらっしゃいます。つまり「パッケージこそ、商品そのもの」という「考え方」がここに登場するわけです。
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  • 「こだわりラーメン」が全国的にブームになっています。「美味しさにこだわったラーメン」というラーメン店のエンドユーザーのイメージにおける差別化的価値の大部分は「ネーミング」と、「ネーミング」をドラマ化した「インターネット情報」にあるといえるでしょう。こうなると「ネーミングは商品である」と言い切らなければ話が逆にややこしくなってしまいます。
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  • また、近日の大ヒット商品といえば「資生堂のシャンプー・TUBAKI」がこれに当たるといえます。エンドユーザーにおける、この商品の他の商品との差別化的価値の大部分は、まさに「ネーミング」と、「ネーミングをドラマ化した、大規模なテレビ・コマーシャル戦略」にあったといっても過言ではないと思います。そして、この「TUBAKI」というネーミングが「日本美人の髪を結い上げてきた椿油」からイメージできることは、総ての日本女性の「感覚的もの」といえるでしょう。
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  • さらにいえば「小林製薬」の「アイボン」「カンタン洗浄まる」「ガスピタン」「熱さまシート」「サカムケア」「しみとりーな」「消臭元」「タフグリップ」「のどぬ〜るスプレー」「ミミクリン」「無香空間」といった「商品」は、「ネーミング」=「商品イメージ」であり、まさに「ネーミング」が商品として成立していることを証明しているわけです。さらに、ここには「ネーミングが良ければ売れる」という「販売強化戦略のヘソ」があることがハッキリしてきます。
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  • しかしながら、こういう素晴らしい例がある時代になっても「パッケージ・デザイン」や「ネーミング」は、単に補足的なもので「商品」といえるものではない。「性能が良ければ売れる」という戦略を用いて、結局売れない状態を自ら作り上げていらっしゃる方も非常に多くいらっしゃいます。「パッケージ・デザイン」や「ネーミング」で売れる時代に、「パッケージ・デザイン」や「ネーミング」を補足的なものと考えれば、売れる確率が何分の一にかに減少することは、いうまでもないのです。
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  • 「付加価値をつければ売れる」という感覚を持ち合わせていらっしゃる方も多いようですが、これもまた「高度経済成長期」の「生産志向発想」といえます。性能の良さに「おまけ」をつけるという戦略こそ「付加価値戦略」なのです。例えば「話をするエアコン」という付加価値をつけた利きの悪いエアコンより、「しゃべらなくて良いから省電力で利きの良いエアコンが欲しい」というのがエンドユーザーのニーズです。
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  • さらにいえば「自分で省エネ操作する手間を省けると良い」というのがエンドユーザーのニーズなのです。そして、「どれぐらい、面倒を省けるか?」という「イメージ」がネーミングになっていなければ「その商品を選ぶ理由に気付かない」というのもエンドユーザーのニーズです。
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  • 30年近く「企画」や「アイデア」と呼ばれる仕事に携わっていると痛感することがあります。「企画」や「アイデア」というものは、制約を受けてしまうと「その制約の中」でしか発想できないものなのです。「パッケージや、ネーミングは補足的に考えろ。商品の品質が最重要だ」という制約を受けると、その制約の中でしか商品は生まれてきません。しかしながら「成功の可能性のある方向」を指示されると、そちらの方向で企画やアイデアが出やすくなってきます。「苦情の中から企画せよ。苦情を改善できるネーミングを考えろ。それが可能になったと一瞬で理解できるパッケージを作れ!」そういう指示を受けると、いくらでも企画やアイデアが浮かんでくるものです。
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  • 商品が売れるようになる方向は、何十も考えられます。商品を売れなくする制約もまた、何百と考えられます。そういった「要因」を理解してくうちに「商品に対する認識」は、ガラリと変ってしまうものです。
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  • 例えは良くありませんが「かわいいアイドル」だと思っていたタレントさんだったのに「覚醒薬」を使っていたということが浮き彫りになると、色々と「悪いイメージ」の連鎖反応が起ります。「兄弟が暴力団にいる」とか、「父親もまた暴力団にいた」などという実態が明らかになってくると「イメージ(感じ)」は一変してしまうのです。同じように「カワイイ女性」だと思っていた同僚だったのに「夜の店でアルバイトをしている」ということがわかってしまうと、その人の「イメージ(感じ)」は一変してしまいます。
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  • こういう「重要で、かつ、数多くある【商品の考え方】=【商品販売の戦略】=【商品づくりの戦略】を知ると、「企画」や「発想」を行うことが実に「効率的」になりますし、「発想」自体に「自信」が持てるようになります。こういう「考え方」=【商品販売強化改善策】の代表的なものを紹介していきましょう。
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まず 売れる人を 育てる
それが 成功の秘訣


 
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