「売れてしまう理由」

2)「トコトン分けること」にこだわる




Chapter-8 「競合条件」という角度



(1)競合商品という視点


競合視点「7つのポジション」

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  • 小泉政権時代の大きな政策に、規制緩和による「海外金融企業(保険)の運営許可」というものがありました。実際に「アリコ・ジャパン」「アフラック」「アメリカン・ホーム・ダイレクト」などが日本で営業を開始した、とニュースが流れた途端、日本の金融(保険)企業の株価が大混乱するという騒ぎが起りました。
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  • こういう話は、いささか極端な例ですが、競合関係というものが、どれだけマーケティングにおいて重要なのかを示している好例だろうと思います。競合条件の具合によって、同じ商品でも意味合いが変ってきます。たとえば「先発商品」や「後発商品」という言葉が実践的に使われてはいますが、この言葉が戦略的な方向を大きく左右しているのです。
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  • 競合における戦略の基本原理は、こちらの強いメンを競合の弱点へぶつけていくことです。「競合メーカーは、どうやっているのだ?」という質問は、実践的によく利かれることです。競合メーカーが何をしているかによって、絶妙な明暗のように感じていた企画がフイになることも希ではありません。
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  • マーケティング「おたく」とでも呼ばれる人でしか持ち合わせていない本があります。「企業のマーケティング・プランニング」という本です。著者はJ・M・ブライアン氏。彼は、著書の中でこのように述べています。
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  • 「マーケティング部門が企業のために果たす主要な使命は、自社商品のツ御衣メンを市場の適切な所へ適切に配置することです。その強い面、配置した場所が大きければ大きいほど、効果は大きいのです。これが、競争的なマーケティングであり、このプランニングこそ、企業競争の実態なのです。」
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  • 企業と商品が持ち合わせている長所、弱点は、いろいろな角度でとらえることもできます。これら主要なポイントを商品を中心に考えると、次のようなポイントがきわだってきます。

  • a)「先発商品」
  • b)「後発商品」
  • c)「競合がない独占商品」
  • d)「競合が少ない寡占商品」
  • e)「競合が多い多占商品」
  • f)「大広告投資型商品」
  • g)「小広告投資型商品」

  • 本の中には、「企業力」「セールスマンの数」「支店網」などといった区分けもありましたが、それらの話は、別の著書や文献などを参考にこれまでに紹介してきましたので、ここでは商品を中心に絞った見方で考えていきたいと思います。
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(2)先発商品


ランチェスター的弱者の理論

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  • 先発商品というのは、業界で最初に売り出された商品のことです。つまり、新商品と呼ばれるなかで、最も新商品らしく純粋なものといえるでしょう。先発商品のマーケティング的な考え方は、後に詳しく述べる通りですが、先発商品と「あえて」いう時には、次に紹介するような負担があります。そこに戦略的課題が存在しているのです。
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  • 先発商品の性格

  • a)市場を独自の力で開拓していかなければなりません。
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  • b)商品そのものが、まだ市場に知られていないケースが多く、商品イメージそのものの定着から始めなければなりません
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  • c)新しい商品なので、市場にどのような不満があるかわからない。
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  • d)セールスマンや小売店の獲得、補充、育成など、先例がないために白紙の状態から企画構築しなければならない。
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  • e)その商品に対する必要性が市場を満たしていないと販売不振に陥ってしまう。
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  • f)しかし、これらの困難を独力で乗り切った場合、創業利潤として莫大な利益を得ることができる。

  • これらの好例とされているのが「味の素」だと言われています。
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  • 1960年代、高度経済成長という日本における最初のピークで、先発型商品の販売で有名だったのは「ソニー」です。この会社は当時、「大手企業のモルモット」などと言われてきました。
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  • ソニーが最初に開発した商品が、市場の5%を満たしたあたり、つまり成長期に入ったとたん大手企業が一斉に名乗りを挙げて大量生産を行い「ブランド競争」を激化させ、大きな利潤をサラっていってしまっていたからです。
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  • 先発商品は、独走体制にあるわけですから一応、競争対象としては除外されるポジションとなります。ですから、競合メーカーと比較のしようがありません。長所の比較を調べようにも、弱点の比較を調べようにも、比べる相手がいないのです。
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  • しかしながら、原動機付き自転車が売れたら、今まで売れていた「自転車」が売れなくなり、コーラが売れたら、今まで売れていた「サイダー」や「ジュース類」が売れなくなる、といった「代替関係」が存在しますから、こういった面も考えておかなければなりません。
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  • 先発型企業「ソニー」のとった道
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  • 正直、私は「ランチェスター理論」に特化した「ランチェスター理論の専門家」ではありません。しかしながら、商品の売上強化に実に効果的なこの「大法則」を全く知らないわけでもないのです。事実、この理論は「弱小企業」が大企業に望む、実に効率的な戦略です。当然、必要とあらばお手伝いしている企業に提案することも多くあります。
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  • ここで私が伝えたいことは、「弱小企業が大手企業」に挑むために用いる「弱者必勝の法則」を、どう使えば成功するかということ。そして、弱者でない企業が弱者の法則を使うとどうなるか、という実態を確認いただきたいということです。そしてまた「弱小企業」が「大手企業」に望む時こそ「先発型商品の販売」がいかに有効であるかを理解して欲しいのです。
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  • ソニーという企業は、世界における弱小企業として「ランチェスターの法則」を実に巧みに活用した企業です。しかし、競合の中でのし上がり、大企業となってからも弱者の法則を活用したため行き詰まってしまった経緯もあります。そういう意味で、激動の50年を「商品開発」という視点で解説してみたいと思います。
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  • 1960年代、ソニーは新商品を続々と発売することで有名な会社でした。当時の実例を見れば、ソニーという企業が新製品を生み出す技術の高さがどれほどのものかろ理解いただけるでしょうし、そういった企業イメージが確立していたのも当然のことと思えるでしょう。

  • 当時(1960年代〜)日本で最初にソニーが作った製品
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  • 「磁気録音テープ」「テープレコーダー」「トランジスタ」「トランジスタ・ラジオ」

  • 当時(1960年代〜)世界で最初にソニーが作った製品
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  • 「ポケット型トランジスタラジオ」「2バンド・トランジスタラジオ」「FM・中波トランジスタ・ラジオ」「トリニトロン・カラーテレビ用ブラウン管」

  • 「トリニトロン・カラーテレビ用ブラウン管」
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  • ブラウン管開発では、絶対的な後発ともいえるソニーが独自に開発し、特許を取得し他社に生産を許さなかった「1ガン3ビーム方式」を採用していたブラウン管です。当時一般的だったシャドーマスク方式のブラウン管に比べ、低輝度でもコントラストが高く、画質面で非常に有利だったのです。また、シャドウマスク方式のブラウン管は、表示部が球面を切り取った形であるのに対し、トリニトロンは円筒の一部(「シリンドリカル・フェイス」)だったため、表示のゆがみが少なく部屋の照明が写り込みにくいといった特徴を併せ持っていました。結果的に、2,000年ごろまで、PC業界においても液晶モニターが主流になるまでは、ソニーの「トリニトロン・カラー・モニター」が最高性能を持ち合わせているという理由で、多くのデザイナーなどの「専門家」に愛用されていたのです。

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  • こういったリストを見れば、ソニーの技術の高さも、そしてソニーという企業が典型的な先発型企業であることもご理解いただけることでしょう。しかも、これは「偶然生まれた商品」ではなく、あくまでも総て「戦略的」に作られた商品だったのです。
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  • 1946年5月、ソニーの前身、東京通信工業を設立した「井深」氏は「ラジオや電蓄(レコード・プレーヤー)を作っていたのでは大企業に潰されてしまう。たとえ潰れなくても道は険しくなるばかりだ。それよりも大企業のやり残していることをやろうと決心した」と語っています。この決心、この考え方が、ソニーの進むべき道を作っていったのです。
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  • 井深氏は、こうも言っています。「模倣だけでは進歩がない。基礎を固めた後、自分自身の個性を加えてこそ、はじめて価値が生まれる。」「日本は天然資源に乏しい。無いといっていいくらいだ。そこで人間の力、頭脳、時間を上手に使っていかなければならない。頭脳を駆使し、高度の技術生を活かした産業を盛んにすることが日本に残された道である。ここに「創造性」が必要となるのだ。」
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  • その時代、事実、ソニーはその哲学を実行に移しました。「人のやらないことをやろう。人より一歩進んだことをやろう」という考え方が社風にもなっていたのだそうです。ですが、どのようにして、これほど技術を進めることができたのでしょうか。
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  • 1960年代後半、井深社長は、このようなことを述べています。
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  • 「世界の巨大企業とスケールでケンカしたところで勝ち目などあるわけがありません。しかしながら、巨大企業というえども何から何まで全部自社で市場を独占することは不可能です。必ず「スキマ」が生まれます。
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  • 企業の規模が大きくなればなるだけ、取りこぼしが起りやすくなるのです。しかも、主流の商品で市場は出来上がっています。市場ができあがっているわけですから、すでに大きなニーズも存在しているわけです。
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  • テクニカル・ギャップという言葉があります。これを技術格差と翻訳する人もいるようですが、私は「攻め入るスキマ」と考えているのです。」
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  • つまり、ソニーという企業は「スキマの中」にこそ活路があると考え、競合の少ない「寡占化」の波の中で、スキマに関する先発企業として成長してきたのです。これは、まさに「ランチェスターの弱者の理論」です。この戦略と、このソニーの歴史による実績は、今後の「弱小企業の戦い方」にとって、おおいに参考になるものだろうと思います。
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  • その後、大企業として成長したソニーは「人のやらないことをやろう。人より一歩進んだことをやろう。」という方針を貫きました。強者が弱者の理論を用いるとどうなるか・・・というのが、その後のソニーの歴史となっていくのです。
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  • その代表となったのが「β方式」でのビデオです。対抗したのは「VHS(Uマチック)方式」のビデオ。家庭用ビデオは、当初「ソニーのβ」と「その他の企業のVHS」の戦いとなりました。家庭用ビデオデッキの分野では、結局「VHS」の圧倒的勝利という形になりました。

  • しかしながら「β方式」が完全に消滅したわけではありません。テレビ局は、世界的に「β方式」の「取材用テープ」と「ソニーの取材用カメラ」を採用しています。つまり、技術の高さが必要な「専門分野」では、絶対的な立場で世界的に生き残っているのです。とはいえ、家庭用ビデオデッキの販売における絶対代数という業績で考えると、このビジネスとしての勝負については、完全なる敗戦であったといえるのかもしれません。

  • この敗因には「レンタルビデオ」や「販売ビデオ」といった「ソフトの不足」が絶対条件となりました。そこで、ソニーは「CBS」といった「音楽ソフト分野」にも進出することになります。とはいえ、その後「独自性」が裏目に出ることが多くありました。

  • ・DVDレコーダーではDVD-RAMに対応せずDVD+RWに対応しています。
  • ・対応メモリーカードはメモリースティックのみ。
  • ・ネットワークウォークマンにATRAC3を採用し、WMAおよびMP3への対応が遅れた。
  • ・パソコンVAIOでは電子楽器メーカー製造の周辺機器との親和性が良くない機種もある。
  • ・ソニーエリクソンの携帯電話のSDカード対応が遅れた。
  •  (2006年のNTTdocomo SO903iからSD規格を採用)などの例もあります。

  • また、この傾向は同系列会社でも顕著で、最も判り易い例がソニー・ミュージックエンタテインメント系列におけるiTunes Store配信の遅れが挙げられます(現在同社の音源はmoraとその提携先の一部サイトに限られています)。
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  • 一方でこれらが近年の業績不振の一因とみたのか、近年ではVAIOでSDカードなど他のメモリーカードの採用・ネットワークウォークマンでMP3およびWMA対応機種をリリースなど、オープン規格対応に転じる動きが出てきています。
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  • さらに、次世代DVD「Blu-ray Disc」では、長年のライバル、松下電器と同じ陣営になり話題となりました。しかし、現在においてもソニーはSDメモリーカードの発売には踏み切ってはおらず、主にメモリースティックDuoの大容量化と高速化と言った性能強化を行っています。

  • つまり、市場の育っている市場の「スキマ」を狙うのであれば、かつて弱小だったソニーのとった「ニッチな世界で独自性を発揮する」という「先発型商品」の開発は非常にメリットの高い戦略なのですが、寡占化の仲間入りをした時点で他の大手企業と肩を並べる形の「調整路線」をとったほうが断然、効率が良かったことがハッキリと証明されることになるのです。
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  • 逆の言い方をすれば、現在、弱小企業であるならば「かつてのソニー」がとった、「寡占化競争」で出来上がった市場の「スキマの大きな市場」を徹底的に狙って「先発型商品」を開発していけば、素晴らしい業績がそこに眠っているということもご理解いただけることと思います。
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  • インターネット産業の世界で、まさにこの戦略で成功したのが「楽天」だといえるのかもしれません。絶対的な普及は「Google」「Yahoo!」「MSN」に任せ、「インターネット・販売(E・コマース)」の分野でのみ徹底的に特化し、今では「日本の名門企業の証明」ともいえる「プロ野球の球団」を手中に収めているのです。
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(3)後発型商品


先発の象徴「ソニー」、後発の象徴「ホンダ」

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  • 先発メーカーになれるのは物理的に「一社のみ」となりますが、先発メーカーが成功すると、その利益を目指して多くお企業が後発メーカーとして追従を始めるのが常です。マーケットのシェアが5%を越えるまでは「商品の説明」という長い時間や大きなコストが必要になりますが、5%を越えた時点で急激にマーケットが膨らんでいきます。
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  • 需要がきわめて大きくなる「成長期」になると、供給が足りないほどの市場ができあがってしまうものです。後発メーカーは、市場が育つまでの「導入期」には投資をせず、市場が拡大する時点で参入するわけですから、多くの利益を手にしやすくなるのです。
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  • 現在は高技術社会です。量産は、40〜50年前ほど難しいものではなくなっています。需要があれば、すぐにでも需要を満たすだけ供給ができてしまうほど技術による供給スケールは拡大してしまっています。さらに情報化社会が確立され、驚くほどの早さで対応できる社会となってしまっています。
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  • 逆にいえば、情報化が進んだため、ゆっくりと説明できるほどのサンプルが存在しない時代です。しかしながら、こういう時代でも、原理原則は昔と何ひとつ変わっていません。私が、高度経済成長期の「最初の成功」を取り上げて紹介しているのは、こういう理由からなのです。
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  • 後発商品の長所と弱点

  • (1)長所・・・・・・・・・
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  • a)先発商品によって、すでに基礎的な需要は開拓され始めています。その商品が売れるだろうという予測もつきます。つまり、先発商品によって「テスト販売」まで完了していると考えられるのです。
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  • b)商品の「テスト販売」が完了しているだけでなく、販売方法や流通対策、広告政策、といった、あらゆる面で先例を参考に「さらなる改善策」を立てたうえで対応ができるのです。
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  • c)先発商品の失敗を避けることもできます。先発商品には欠点が多いものもありますが、それらの欠点を補った「バージョンアップ商品」を腰を据えて作ることも可能です。
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  • d)意図的に先発商品より優れた商品を企画することも可能です。「ハイブリッド・カー」などが好例といえるでしょう。

  • そもそも、ハイブリッド自動車の必要性を語ったのはアメリカで、1990年代にクリントン政権が「アメリカ・ビッグ3」に呼びかけたことで世界問題となりました。その発祥となったのは、1970年頃に既にアメリカで開発が進められ成功のメドが立っていたゼネラルモーターズの「GM512」というシステムが存在していたからだといいます。その後、ボルボやフォルクスワーゲン、アウディが開発を進めるも、結果的に本格販売を始めたのがトヨタだったということなのです。

  • e)先発商品のマーケティングが不十分な時は、かえって後発のほうが企画的に有利です。成長期まで、あえて強気で待ち、成長期には一気に大量生産に持ち込むといった「松下経営」「トヨタ商法」が日本の高度経済成長を支えてきたとも言われているほどです。


  • (2)弱点・・・・・・・・・
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  • a)先発商品の成功が大きければ大きいほど商品イメージやブランド・イメージが独占的となり、市場に食い込み難くなります。「トヨタ・プリウス」が大成功をおさめてしまったため、ホンダの「インサイト」が伸び悩んでいるのは好例といえるでしょう。
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  • b)先発商品が早期に出て、成長期に後発で量産できなかった場合には、どうすることもできません。「アップルの【 i-Phone 】」などが好例といえるでしょう。
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  • c)先発商品は、販売網や広告政策などで肝心なポイントを先におさえることができます。つまり、後発商品に「マーケティング・プランと施策実行力」が無いまま後発すると逆にブランド力の低下を招く結果となりやすい。

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  • 前例に見る「後発企業【ホンダ】」の経営哲学と実践
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  • ホンダが後発で成功をおさめたという例を紹介したいと思います。それは、1960年代初頭〜1960年代後半までの、たった10年にも満たない時代、さらにいえば「マイカー」などは「夢のまた夢」と考えられていた1950年代が終焉を迎えたところから始まります。
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  • 当時、自家用車は所有していたのは「高額所得者」だけで、「自家用車」というのは、まさに特権の象徴ともいえるものでした。そこに「庶民の車スバル360」の全国発売がありました。1961年のことです。フォルクス・ワーゲン・ビートルに似た4人乗りの軽自動車の排気量は360cc、これは国の規定でもありました。
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  • そこから日本中に「マイカーが持てる」という夢が拡がります。正確にいえば、スバル360が発売されたのは1958年。私が生まれた年です。そこから庶民の自動車「軽自動車主流」のマイカー時代が到来します。1961年、スバル360が全国発売をされて後、マツダが同じく360ccの高級内装仕様車「キャロル360」を発売しました。1962年のことです。
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  • 走行性能に劣るキャロルに対抗して、スバルは高級内装仕様車を発売して巻き返しを図ります。追従した、三菱がミニカを、ダイハツはフェローという軽自動車を販売開始。ところが知名度もなく、マーケティング戦略も充分でなかった三菱、ダイハツはブランド力が不足していたためか、ほとんど売れずに終わります。
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  • 誰もが、スバルの独壇場だと思っていた1968年。ホンダが「N360」を発売します。20馬力で最高速度83キロの「スバル360」と、31馬力で最高速度115キロの「ホンダN360」との戦い。これは、あまりにも走行性能が違っていました。内装でしか勝負できない競合を抑え、本質的「走り」という機能で勝負にでた自動車が発売されたのです。
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  • 結果、スバル360が1958年〜1970年までの12年間に39万台が販売された時、1967年から後発で発売された「ホンダN360」は、1971年までの4年間で、65万台を製造販売していたのです。
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  • あまりにも凄まじい企業成長をしたホンダは、後に欠陥車問題というアメリカの事件を事例に訴訟を起こされます。この作為的な裁判事件に巻き込まれたことによって、しばしブランド力を落とすことになります。しかし、後にホンダに対して起訴を起こした人物の行った行為は「作為的企業活動妨害事件」として認識されることとなります。「国会が取り上げ、政治的な妨害が出るほどの注目を浴びた企業成長」と、後の時代に語り継がれるほどの注目を浴びた事件が起ったのです。

  • その当時、「スバル360」を販売しているメーカー「富士重工」は、「こんなに需要が隠れていたとは・・・」と驚き、自ら「努力が足りなかった」というコメントを発表したほどです。しかしながら、現在でも「コレクター」の間で「日本初のマイカー・ブーム」を呼び起こした「スバル360」というマニア的価値を集めています。
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  • さて、当時の「ホンダ」がこの「企業成長」に対してどのようなコメントをしているのかを紹介してみたいと思います。当時の常務であった「西田」氏は、このように語っています。

  • 「思想のない商品は売れない、というのが我が社の基本方針です。N360の場合は、乗る人が「誇りを持って乗れる車」の実現に全力を傾けました。いままでの軽自動車を買うお客さんというのは、ハッキリ申し上げて低所得者層が、その中心となっていました。
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  • しかし、私どもが作る自動車は、安いからといって乗る人のプライドを傷つけるようなものであってはいけないのです。中型車を買うだけの収入がある人にとっても「これで充分。いや、これがいい。」そう思うような車にしようじゃないか。
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  • そういうお客さんの満足を実現することに徹した結果が、従来の「軽自動車」のイメージを破る車の誕生につながっていたのではないだろうかと思うのです。」

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  • 大手企業を敵に回して、後発するメーカーがどのように闘いを挑めば成功するのかという答が、どうやらこの「企業哲学」の中に隠れているのではないかと思えてならないのです。
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(4)独占商品


きわめて例外的なパターン

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  • 独占商品は、正直にいうと「きわめて例外的な商品」であるといえるでしょう。特許などで庇護されている大発明の商品が、まさにこの分類となります。また、逆に「特許を取得すると、製造過程等を公開する義務」があるため、特許を取得せずに独占的シェアを守っている商品もあります。
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  • ポラロイドカメラなどが特許商品となるのでしょう。逆に特許を取得せずに「徹底したブランド強化」を行って成功した例といえば、世界的には「コカ・コーラ」、アジアの代表といえば「味の素」といった商品が、まさにこの「独占ブランド商品」といえるのでしょう。
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  • 販売の立場に立っていえば、独占商品に不利な点はきわめて少ないといえます。もし、あえて指摘するならば、先発商品と同じように、一企業単独の力で需要を開拓しなければならないということでしょう。
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  • 日本における「味の素」は、その発売の初期において「動物の粉末」「石油化合物」などといったデマを飛ばされ、ずいぶん苦労をしたといわていますが、独占的な商品は、社会の中に新しい習慣を作り、新しい感覚をつくり、新しい文明を作りながら需要を開拓してきたものばかりです。
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  • 短絡的にいえば、「徹底したブランド戦略」を行ってきた結果、その確固たる地位を築き上げてきたブランドばかりともいえるでしょう。現在における独占的な商品といえば、Ricohのコピー機や、キッコーマンの醤油。ミツカンのポン酢、さらに、キューピーのマヨネーズなどが日本における独占的なブランド商品といえるのかもしれません。
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  • 近年でいえば、せんせ印国において、世界的な独占商品となったのは「iPhone」です。追従するべき商品の登場が遅れてしまい、あっという間にシェアを拡大して独占状態となってしまいました。このような実例は例外的という扱いをしなければなりません。とはいえ、こういう幸運にまみれた偶発的な商品が今後誕生しないとも限りません。
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  • 独占的な商品は、需要を開拓するということに全力を投入すれば良いのです。地味ですが着実に需要を掘り起こしていくことだけが戦略的な課題となります。その戦略は、ユーザーがその商品をどのように感じているかの度合いによって変るに過ぎないのです。
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  • 問題があるとすれば、独占ブランドの競合企業である中小のメーカーが、いかにその独占市場に食い込んでいくか、ということになるのでしょうが、この件に関しては、ソニーのとった戦略で市場に食い込んだケースもあれば、ホンダのとった戦略を参考に市場に食い込んだケースは多くありますが、残念ながら、それ以外の成功例が見当たらないのです。
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(5)競合が少ない寡占商品


大手数社によるハイレベルな戦い

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  • 「寡占(かせん)化」という言葉は、死語に近づいているのかもしれません。これは、大手数社で市場が独占状態となっている様子を言います。いってみれば「横綱と大関(と小結)の戦い」といったところでしょうか。市場が大手企業の2社、3社のシェアで埋め尽くされている状況を「寡占状態」といいます。
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  • 例をあげるなら、「トヨタ、ホンダ、ニッサン」の大手3社でシェアをおさえてしまっている自動車業界。「docomo、au、softbank」の大手3社でシェアをおさえてしまっている携帯電話業界、さらに「花王、ライオン、P&G」の3社でシェアをおさえてしまっている「活性剤(石鹸)メーカー」のような状態のことです。
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  • こういう状態になると「寡占メーカー」に圧迫される中小メーカーの闘いは「大人と子どものケンカ」のような状態になってしまいます。こうなってしまうと、勝負の方法は1つしかありません。小さな市場を狙っていく。ニッチな世界でトコトン攻めていくというものです。
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  • 現代派、寡占化に乗り遅れてしまった中小メーカーにとってh,ある意味幸いな時代だといえます。完全に市場が熟成してしまっていますから、市場の細分化が起っています。さらに情報化時代がすすみ「インターネットでの販売」が当たり前になっています。
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  • 戦略の方向は2つ。出来上がってしまっている市場の「スキマを狙う」という方法。はたまた、大手企業では絶対に手を出さない小さなマーケット、マニア市場を狙うか、ということになります。大きな方向でいえば「ランチェスターの弱者必勝の法則」に則った戦略で戦うのがセオリーのように思います。かつてのソニーがとった戦略です。
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  • これは、商品にだけ言えることではありません。流通でも同じことが言えます。本離れにより、大手書店が縮小傾向にあるなか「マニア向けの書店」が注目を浴びていたりします。私とも交友のある東京の郊外にある某書店は「自己啓発のための本」の専門店ですが、北海道や沖縄を始め、全国から毎日、お客さんが尋ねてきています。
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  • 「徹底したマーケティング」+「いちかばちかの大勝負」=【大逆転】
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  • もうひとつ、寡占メーカー同士の「横綱と大関の戦い」の中に「小結」の立場の会社がどのように割り込み、現在の大関と入れ替わっていくか、ということになるでしょう。「ハード商品」の業界と「ソフト商品」の業界では戦い方が違っているように思います。
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  • ハード商品は「長期的なブランド戦略」を続け、ジワジワと市場を伸ばすというのがセオリーのようです。また、食品や生活雑貨のような「ソフト商品」の場合は、一発大逆転もの要素を多く持ち合わせている場合もあるようです。
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  • 一発逆転の話を先にしておきたいと思います。シャンプー売上、第4位の資生堂が「TSUBAKI」の発売をきっかけに、業界第1位となりました。

  • ヘアケア市場は規模2700億円程度で2000年〜2005年に推移してきた成熟市場であり、メジャーブランドの間で激しい競争が繰り広げられていました。
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  • その競争の激しいヘアケア市場で長年トップを守り続けてきたのはユニリーバのLUX。LUXは現在アメリカのカリスマ的シンガー、ジェニファー・ロペスをCMに起用。古くはブルック・シールズからジェニファー・コネリー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ペネロペ・クルスなどハリウッドの錚々たる有名女優をCMに起用して日本人の欧米女性への憧れをうまく掴んで成功してきました。
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  • また、2003年にアジアの美をテーマに売上を伸ばしてきたのが花王のアジエンスです。CMでは「グリーン・デスティニー」のヒットで一躍アジアのトップ女優に躍り出た中国の女優チャン・ツィイーを起用。チャン・ツィイーは今やハリウッドでも注目のアジアン・ビューティとしてその存在感を高めています。
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  • これらの2強に対して2005年に割って入ってきたのがP&Gのパンテーン。中山美穂をイメージキャラクターとして内側から輝く透明感のある髪を実現させる商品は女性の心を掴み、ヒット商品となりました。このようにヘアケア市場ではLUXを頂点に、アジエンスとパンテーンが急追するという激しいシェア争いが今春まで続けられてきました。
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  • このような激戦の続くヘアケア市場において普及価格帯の商品に「スーパーマイルド」、高価格帯の商品に「フィーノ」を抱える資生堂は4番手と後塵を拝しており、シェアトップを奪取するために不退転の決意で 今春“TSUBAKI”ブランドを投入しました。その意気込みはプロモーション費用からも窺えます。同社ではTSUBAKIのプロモーションに過去最高の50億円を惜しげもなく投じたのです。

  • このCMに関しては、前に説明した「USP理論」がまさに当てはまるもので、「モデルの選択」「SMAPという歌手の選択」さらに「日本の女性は美しい」という、心を鷲掴みにするメッセージ、さらには50億円という「企業の存続をかけての多大な投資」の総てがそろっていたからこその大逆転だったのでしょう。
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  • そこには、徹底した「マーケティング戦略」と「社運をかけたリスキーな投資」がありました。この戦略の日本での発祥といわれるのが「カルビーのかっぱエビせん」です。この企業もまた当時、徹底した「マーケティング戦略」をもってして「社運をかけたリスキーな投資」をしていたのです。
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  • リスクなしで【大逆転】というものが成功した例はありません。これは「流通」でも同じ話です。徹底した「調査と下準備」があり「いちかばちかの大勝負」があって、はじめて大逆転が成り立つといったところなのでしょう。 
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  • 徹底した「長期・ブランド戦略」
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  • もうひとつ、ジワジワとシェアを拡げていくという方法があります。2番手と3番手の伸びにより、1番企業のシェアが縮小し、さらに2番手と3番手が入れ替わるという図式は、ハード商品を中心とする業界で起っています。代表的な例が自動車業界だと言えるかもしれません。
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  • 1970年ごろ、日本の自動車メーカーといえば「トヨタ」と「ニッサン」と「その他」と言われるような市場でした。当社は「輸出日本一の企業です。」と片方が広告を打ち出せば、弊社は「生産量日本一の企業です。」とやりかえすといった、広告合戦が繰り広げられました。 
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  • 映画「三丁目の夕陽」の中で1960年頃の「当時の街の風景」が映し出されていましたが、私は、まさにあの時代に生まれ、自動車の所有者が少しずつ増えていった時代を、実際にこの目で見て、日本の高度経済成長を肌で感じながら育っていったのです。当時は「技術のニッサン」「販売のトヨタ」といわれたような時代でした。
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  • さて、1965年頃「ニッサン・ダットサン・サニー・B10型(1000cc)」が「大衆車の代表」として登場しました。すかさず追従したのがトヨタです。1966年に「トヨタ・カローラ・1100」が発売されました。「3速シフトより高速対応の4速シフト、100ccプラスされた余裕のエンジン」という売りモンクで全国販売され、サニーを抑えて売上台数トップの座を射止めました。
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  • その後、ニッサンとトヨタは路線を変えて展開していきます。欧米列強の自動車技術に対抗する道を選んだニッサンは、ブルーバードを皮切りに、スカイライン、フェアレディーといった「高技術商品」を続々と産み出していきます。
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  • トヨタは、ニッサンが新商品を出す度に「ブルーバード」には「コロナ」を、「スカイライン」には「セリカ」を、「フェアレディー」には「トヨタ2000GT」を、といった「競合商品の徹底改良、徹底追従の道」を取らざる得なくなっていました。当時、業界では「トヨタはニッサンのマネをしているばかりじゃないか、トヨタじゃなくてマネタ自動車だ」などといった声が聞かれることさえあったのです。
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  • ニッサンとトヨタの2社独占体制。この状態が30年続いていきます。その30年を、全く別の経営戦略で着々と足固めしてきたのがホンダでした。ホンダは「世界的な自動車レース」で技術を構築していきます。世界初のCVCCエンジンの開発、続いて「VTECエンジン」の開発、といった徹底した「環境エンジン開発」に取り組んだのです。さらには「飛行機を作る」「ロボットを作る」という技術向上路線を進む道を選択します。
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  • さらに、ホンダは海外に製造拠点を作るといった革新的な経営体制をとっていきました。
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  • 1992年、バブル崩壊とともに、ニッサンが独占競争から撤退を余儀なくされてしまいました。そこから、建て直しの10年に入ってきます。カローラの販売によって日本全国に販売網を拡げたトヨタの独壇場が出来上がってしまいました。ここでホンダの巻き返しが始まります。1994年にオデッセイ、1995年にCR-V、1996年にステップワゴンを発売。この3車種が大ヒットとなりました。
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  • 1999年、独占市場をもったトヨタが高燃費コンパクト・ファミリーカー「VItz」を発売します。追従したホンダは、これまで一貫して取り組んだ環境エンジン「VTECエンジン」をさらに改良し「 I -VTECエンジン」を開発しました。高燃費、好環境のエンジン「 i-VTEC 」の自動車「Fit」を発売しました。
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  • 2002年、この時、ホンダがニッサンを抜いて、業界2位の地位についたのです。ホンダは、訴訟事件があった1970年ごろから、30年の歳月をかけて巻き返しを図ってきました。寡占化市場で地位をひっくり返すには、こういった「徹底した長期戦」がセオリーとなります。
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  • 同じ「ハード商品」である、携帯電話の業界でも、この「自動車メーカー大逆転の30年」というようなことが起っています。1996年の携帯電話一斉発売から、シェア50%を守り続けている「docomo」これは、現在でもほとんど変わっていません。残りの50%を「au」と「softbank」で二分しているという図式が出来上がっています。
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  • 1996年時点では「au(TU-KAを含むKDDIグループ)」が40%、「softbank」が10%というシェアでした。2000年ごろは、「docomo」が60%、「au」が25%、「soft bank」が15%というような、docomoの独壇場が出来上がった時期もあります。
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  • このバランスが、毎年、ほんの少しずつ変異しています。「soft bank」は、毎年確実に1%ずつ10年をかけて、KDDIのシェアを1%ずつ手に入れています。2008年の時点で「au」が30%、「soft bank」が20%という状態になっています。
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  • 結果、ここでいえることは「ハード商品」の分野で「寡占市場」の地位を向上させるには、相当な時間と労力が必要になってくるということです。
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(6)多占商品


シェアの数値の示すもの

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  • 占有率(シェア)の基本を理解していなければ、このあたりの話は、宇宙語のように聞こえてしまうかもしれません。とはいえ、シェアという言葉ばかりが独り歩きしてしまい、頻繁に使われる言葉にっています。今さら、そういうった常識を質問するわけにもいかないといった人も少なくないのかもしれません。
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  • 通常、どの市場においても「シェア」というものは存在しています。そして、その数値の意味するものは、通常のマーケットでは、おおよそ次のようになっているといわれています。これは、流通や小売といったものにでも当然当てはまるものです。
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  • ・・・【 健全市場の占有率 】・・・
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  • 32%〜  「完全独占状態」   
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  • 28%〜32%「一番企業独占状態」 
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  • 16%〜27%「不動の二番手状態」 
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  • 12%〜15%「切迫した3番手状態」
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  • 00%〜11%「4番手以下の状態」 

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  • 通常の健全な市場は、このようになっています。自動車業界や携帯電話の業界は、正直いって「完全に異質な例外的業界」だといっても過言ではないでしょう。自動車業界にせよ、当初は数多くのメーカーが存在し、時間をかけて大手企業がシェアを拡大していっただけの話です。
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  • こういった「健全なバランス」を把握しておけば、経済新聞や専門誌を読んだ時に、自社のシェアがどの程度なのかということも理解しやすくなります。さらに、一番手の企業には一番手の戦略がありますし、二番手の企業には二番手の戦略があります。
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  • 二番手の場合ならば、ブランド力の強化が課題となるでしょうし、3番手なら、独自路線で1番手、2番手があえて拾っていないターゲットを完全に取り込んでいく戦略が有効でしょう。さらに、それ以下ならば、かつてソニーがとった「完全なるニッチマーケット」を狙っていく戦略が有効だといえます。
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  • これは、メーカーだけの話ではありません。当然、地域における店舗の戦略でも同じことがいえますし、コンピューターのウェブでの状態にしても、まさに、こういった「絶対法則」が成立つことは否めないのです。
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  • さて、話を元にもどしましょう。前節で説明した「熟成的、独占市場」が存在する一方で、この一般論や、占有市場とは真逆の状態を作り上げてしまっている「逆の意味の不自然な熟成市場」もまた存在します。好例があるとすれば、清酒の業界が、それにあたると言えます。
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  • 「月桂冠」「白鶴」「日本盛」「大関」「黄桜」「白雪」「松竹梅」「菊正宗」「白鹿」「沢の鶴」「剣菱」といった、有名メーカーが軒を連ねてきましたが、上位5社で60%のシェアを分け合い、他の5社プラスアルファーで、残りの40%のシェアを分け合うという競合乱立マーケットが成り立っています。
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  • このような「絶対的な一番手、絶対的な二番手の企業も存在しない、競合乱立市場の商品」を「多占商品」というのです。
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  • こういった市場では、競合商品が多く、圧倒的に優位な立場を持っている商品が同業界にありません。お酒の例を見てもわかるように、こういう商品は、実に類型的で平凡な商品なのが一般的です。こういう時は、ブランドを構築する努力さえすれば、頭角をあらわすチャンスは、どの商品にもあるわけです。 
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  • とはいえ、市場自体が「新しい動き」に対して、非常に嫌悪感を持っている場合が多く、それまでのやり方ではブランドが構築できずにいたにもかかわらず、ブランド力のある商品を発売すること自体を避けようとする傾向があるのも事実です。
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  • 多占商品は、清酒のように「中身の製品」自体で大きな差別化はできません。類型的な性格を持ち合わせているからです。つまり、付随的な要因である「パッケージ・デザイン」や「ネーミング」によって商品の個性を打ち出し、さらに広告戦略などによってブランド・イメージをつくり、強力な差別化を図る戦略を用いる他、道はないのです。
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  • 長い期間、そういう市場でトップの座を守り続けていたのが「月桂冠」でした。1984年、衝撃的な事件が起ります。二番手だった「白鶴」が、この業界で初めて「ブランド戦略」を用いたのです。登場したのは「白鶴まる」。当時の一升瓶に貼り付けてあった、江戸時代から守られてきたような、伝統的なデザイン「白地の紙に和染を施し、墨文字で商品名を書いた商品」が並ぶ中に、真っ赤な商品が登場しました。
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  • この大事件によって、清酒業界は「絶対王者・月桂冠」を白鶴酒造が抜いて、業界の縮図が塗り替えられてしまいました。今から25年も昔の話ですが、歴史をたどってみると、それこそ100年に一度の大事件だったわけです。
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  • こういった時に、どのように対応すれば一歩抜け出せるかという方法については、何度もいうように「イメージギャップ法」を用いて「商品イメージ」をリニューアルし、そこに「USP理論」を用いた方法を活用するしかないのですが、これを「文字による説明」で文章化することは非常に難しいのです。
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  • 「見たコトも、食べたコトもないものを、文字で説明されても、さっぱりわからない」ものです。我々が、ゼミナールという形をもって「その手法」を伝え続けているのは「直接あって、実体験すれば、(実際に見て、一度食べれば)即座に「こういうことか」と腑に落ちる」からなのです。
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(7)大広告費型商品


独占企業と、追従企業の戦い

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  • ここでいう大広告費型商品というのは「競争上、他社より大型の広告費を投入している商品」という意味です。大きくわけで、このタイプの商品は2つの区分ができるようです。ひとつは「独占状態」となっている企業が、さらに需要を拡大するために大規模な広告戦略を用いている場合。もうひとつは、寡占状態での2番手、3番手の企業が1番手の企業に一気に近づくために行われる戦略的に大規模広告を投入された商品です。
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  • 競合商品よりも、大型の広告を投入されているということは「その業界のリーダーシップを握る商品である」と、マーケットに期待を持たせることにつながります。当然、そういう場合「広告戦略」において課題が生じるのは当たり前のことといえるでしょう。2つのタイプ、それぞれに課題を見ていきたいと思います。

  • a)「独占的状態の需要拡大」
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  • 二位以下のブランドの追従を許さず、さらに差をつけるための方策を立てる意味で広告を用いた「知名度向上」を狙うものです。その商品(企業・ブランド)の需要拡大についての責任は、他社には大きく期待することができないので、自ら進んで需要拡大を図る必要があるのです。
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  • 例としては「コカ・コーラのブランド広告」「マクドナルドのブランド広告」「JRの企業広告」があげられます。

  • b)「1番商品追従の戦略」
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  • 業界1位の商品に対して、2番手、3番手の企業が、一気に巻き返しを図る時に用いる。この場合、1番手企業がとっている「USP理論」に基づいた広告表現より、さらに「ユーザーの心をつかめる」と確信が持てた場合、企業の運命をかけて巻き返しを行う場合があるのです。
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  • 例としては「資生堂シャンプーTSUBAKI」「携帯電話のSoft Bank」「小林製薬の新商品」などがあげられます。

  • 小林製薬は、アイデア商品的新商品を販売するたびに、その必要性を「ネーミング」に込めて大規模広告戦略の道をとっています。多様化した市場を細かく掘り起こそうとする戦略です。また、それを強力に広告に反映させることで企業の成長を促しているのでしょう。
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(8)小広告費型商品


広告費が少なくても抜け道はあります。


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  • 広告費が劣勢の商品が、売れ筋の対抗商品と類型的な広告展開をしていると、売れ筋の対抗商品の知名度やブランド力に紛れてしまい、広告効果がきわめて低下してしまうことが頻繁に起っています。これを、マーケティング業界では「ハレーション効果」とよんでいます。目立つものがあると、その周辺のものは目立たなくなってしまうのです。
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  • 競争上、他社より小さな広告費しか使えないような場合は、常にこのような自体に陥ることになりやすいわけです。1960年代のアメリカでも同じようなことが頻繁に起っています。成功者である「リーブス」氏などを始めとする広告ディレクターたちは、口をそろえてこのように言っています。
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  • 「人間の記憶力には限界がある。表現の強さと規模を掛け合わせたものが広告の強さとなるが、強い広告が存在すると、弱い広告まで記憶できないものだ。」つまり、広告費が大きいということだけで、広告の強さの主要な要因をしっかりとおさえていることになります。弱者が、大手と同じような広告表現を行っていたのでは、広告費が少ないというだけで負けてしまうのです。
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  • まず、大手でありながら2番手、3番手から脱却できない場合、どのような戦略的課題があるのかをピックアップしておきたいと思います。

  • a)少ない広告費用で、強い広告効果をあげるには、まずタイミングと媒体の選択、さらに表現の高度化を目指すことが大切です。この場合、競合より「共感を持たせる」ということが「表現の高度化」で、決して競合の欠点に対して揚げ足をとるような表現ではいけません。そのようなことをすると、かえってブランド力が低下してしまうケースが多いのです。
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  • b)積極的に考えれば、広告のみに限定せず、攻める方法をもっと広く考えなければなりません。そのためには、攻める力のある商品を作り出すことが先決問題となります。商品が用意されたうえで、広告費を生かす媒体と表現を駆使すれば、競合に迫ることは可能なのです。
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  • c)消極的な方法を選んでしまい、大手に追随してしまったというケースがあります。これはマーケットの成長期には、あまり欠点が浮き彫りにはなりません。しかし、後に成長期に入り買い手市場になった時点で、知らないうちにマーケットに擦り込んでしまった「2番手」「3番手」といったイメージによって、かえって「トップ企業」とのブランド力に絶対的な差が生まれることが多いのです。

  • これは、何も「物理的な物」に対してのみ言えることではありません。事実、こういった「経費の洗い出し」を行い、広告経費の組み立て直しを年間で行ったことで、少子化で経営が苦しくなったといっていた「私学」の「学生募集」において、戦略的に成功した事例もあります。
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  • 行うべきは「タイミング」の見直し「広告媒体の選択」「広告表現の高度化」でしかありません。全体経費は、それまでとほぼ同じでありながら、募集定員70%だった「私学の受験生」が、見直しを行っただけで「110%」に拡大したのです。
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  • しかしながら、今までの「当たり前」が総て「新しいこと」に変ったうえでの実績です。ちょっとした「アイデア」や、媒体の選択のちょっとした変更、表現のちょっとした変更などで、これだけの高加効率の向上は起りえません。それまで「習慣」として行ってきたことを総て精算し、年間活動の総てをマーケティングの考え方に基づいて組建て直さなければ、このような大逆転劇が起ることはないのです。
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  • 次に、望まれる広告費が手元に充分にない場合の戦略をカンタンに述べておきたいと思います。最初に「ヒット商品」とは、何かをハッキリさせておきたいと思います。「何か、ちょっとしたアイデアで、偶然、爆発的に売れてしまう商品」が「ヒット商品」ではありません。それは単なる「マグレ」であって、計算されて作られたものではないからです。
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  • マグレ当たりの商品は、マーケティング戦略においても例外的なマグレでしかなく、マグレを何度も繰り返すことは偶然を越えた奇跡でしかないからです。実際のところ、マグレが続いた実例は、残念ながらマーケティングの業界には、ただひとつとして存在しないのです。ヒット商品とは、現在の販売支援方法で100売れている商品を、同じ経費、同じ労力で「100%以上」売ることでしかありません。
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  • カンタンにいえば「費用対効果の改善」をもって生まれた商品を「ヒット商品」といいます。でなければ、続けざまにヒット商品を産み出すことは不可能だからです。大企業でさえ、失敗作を数多く作っているのです。言い方を変えれば「失敗作を作る確率を減らすこと」ができれば、徐々に力がついていくことは間違いありません。
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  • さらに過激な言い方をするならば、大手企業ほど、失敗作をたくさん作っている現実もあります。要するに「売れないものを作らない」「売れる商品開発の打率を上げる」という戦略を導入することが最良の方策であるといえるでしょう。事実、そういう戦略は存在しますし、そうやって業績を伸ばしている企業も数多く存在しているのです。最大の要因を次の章にまとめてみたいと思います。
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まず 売れる人を 育てる
それが 成功の秘訣


 
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