「加納 光」の Blog
「マーケティング」に関するメモ
2016.06.10
ブランド戦略
By Kanou Hikaru
「熊本地震 直後の思い」、そして・・・
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2016年04月15日 未明・・・フェイスブックに こんな投稿をしました。まずは、そのままの内容をここに紹介します。そして、その続きを ここに書こうと思います。
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先ほど九州で地震がありました。お陰さまで九州 福岡に住む弟家族はケガもなく 家のものは何も壊れていない・・・と連絡を取り合うことができ、安堵しております。
地震のお陰で・・・ というのもヘンな話なんですが、今から 10年少し前の話を 思い出すことになりました。2004年、私のいる北陸でも大きな揺れがありました。
みなさんご存知の 中越地震です。当時、大きな被害を受けたのは 富山県、そして石川県の能登半島でした。
地震があったのは秋日の朝・・・ 知人から「俺の地元 石川の能登を助けてくれ!」と要請があったのは、2005年の春でした。
秋の10月から翌年の春にかけて、雪深い北陸は復興ではなく 復旧活動で いっぱいいっぱいだったのです。能登半島の商店は 軒並み崩壊・・・ 商売を優先するために 何世代もの時間をかけて、店の軒を支える柱をじわり じわりと抜いてしまっていた 築 100年クラスの 商店の建物が 軒並み 崩壊していたのです。
ホントに 柱が全部倒れて 屋根がその上にのっかている状態で、ぺっちゃんこ・・・ という感じでした。関東大震災の時は、きっと 街中が こんな風になったんだろうな・・・ そう思えるような 歴史的な建物が いっぱい 屋根の瓦の重さに 丸ごと押しつぶされていたのです。
復旧に目鼻がついたのは 春頃でした。そこからが 復興です。
地震が起こって半年後、知人から こんな話を聞きました。「地元の食品スーパーの社長が 地震の当日の朝、大号令をかけたんだよ。
水を店頭に並べろ! カセットコンロのボンベを並べろ! なに? 店のなかの商品が グチャグチャだと? そんなこと 関係ねぇ〜! まずは お客さまの生活だ! 店舗の運営保険? そんなもんはいらん! 良いから 水とボンベを並べろ! ・・・」すごい社長だろう?
こんなことを言い放ったのは、私の3つ年上の ど田舎の 食品スーパー「どんたく」の社長、山口 氏だったのです。知人の紹介で、その山口氏に会いました。
その山口 氏は 私の顔を見た瞬間「あんた、コンサルタントらしいなぁ? 悪いが 街を元気にするのを手伝ってくれないか? 保険金をもらい損なったもんで 金はねぇ。だけど、儲かったら ちゃんとお礼をするから・・・」と言うのです。
そこで 私は質問をしました。「地震の日、店の保険金をもらえることをブッ飛ばして、水と カセットコンロのボンベを店頭に並べたらしいですね?」・・・
そうしたら、こういういう言葉が返ってきました。「違うなぁ。足りないよ。赤ちゃんのオムツ。レトルト食品。チンするごはん。カップ麺。トイレットペーパー・・・ あとは、現場の社員に任せた お客さんが欲しいと言い出した商品 全部だ。」・・・
そういって、七福神の 恵比寿さんと 大黒さんを足して2で割ったような顔をして ニッコリと微笑むのです。そして、改めてこう言うのです。
「でな・・・ あんたが 腕の良いコンサルタントだとわかって 言うんだがな・・・ この街を助けてくれんかい? 能登半島が潰れてしまう。そもそも過疎が進み始めている地域・・・ すぐに復興せんと 若い子が帰って来なくなる」・・・
こんなことを 初対面で言われて「イヤ」って言える人がいるんでしょうか? 「あんたしか できんらしいから、あんたに頼むんじゃが・・・助けてくれんかい? 」なんて、ホンキで言われたら「よっしゃ わかった!」って 言うしかないじゃないですか・・・
過疎化が進む街に 進出してきていた 「どんたく」の競合 大手スーパーチェーン・・・ 都会から進出していた その お店は その後 撤退を余儀なくされます。
マニュアル通り、地震の後、壊れた商品の代金を保険金でまかなうために 店内の商品破損の写真撮影、片づけ と 棚卸しを開始・・・ お店が開いたのは 夕方だったそうです。
その街に住む人たちは こぞって全員が こう言ったのです。「あんな店は ダメだ。自分達のことばっかり優先するような店には 行きたくない。
私たちは 地元の【どんたく】にしか行かないよ。お店の中が グチャグチャになっているのに、片づけを後回しにして、お店の前に 水や 紙おむつを並べて売ってくれた、
あの店にしか行けないよ・・・」 結局、地震から1年も経たないうちに、誰も寄りつかなくなった かんこ鳥の鳴く 競合店は お店を閉めてしまったのです。
この「どんたく」という会社の方針・・・とってもステキなんです。「清く 正しく 面白く」・・・ そういう方針を立てる社長の くったくのない笑顔に やられてしまいました。
「わかりました。でも 無料ってわけにもいかないですよ。福井から 能登半島まで 片道3時間かかります。コンサルをするとなれば、それなりの調査も必要になります。
必要経費は 払ってください・・・」と イヤらしいことを言ったのですが・・・
「最低限の請求ってことで、なんとか頼むよ。払うもんは払うから・・・ ただし、こっちも命がけで払うから、そっちも命がけで しっかりと指導を頼むよ・・・ あんたの払う分は しっかり 我が社で儲けておくから・・・ あんたに払えるだけ儲けられる 我が社のコンサルを頼む・・・後払いな。先に儲けさせてくれ。ワハハハハ…」
これが、「どんたく」という会社の 山口社長との最初の出会いでした。
忘れもしない 顧客管理システムの見直し・・・
上得意のお客さまには 特別値引きなり なんなり しなきゃダメですね・・・ とアドバイスしたら「なるほど、じゃぁ 店長にあいさつに行ってもらおう。メロンが良えぇな・・・ メロンを持って ご自宅に お礼参りをする。
どう思う? これなら 清く 正しく 面白く になるじゃろう? 田舎らしいし 」・・・ その決定事項は いまだに続いているようです。ホントに店長さんがメロンを持って ご自宅に お礼を伝えに顔を出しているんです。
それから およそ10年・・・ 山口社長の会社は当然、山口社長が 気にかけていらっしゃる会社の経営者の方々と仲よく 能登半島の 復興に取り組むことができました。
越中 富山。能登 加賀 石川。越前 福井・・・ この3県が 私の今 住んでいる 地元「北陸」なんです。
田舎の食品スーパーが、金沢という街に初出店する・・・ その時も「どうすりゃ良いかね?」と いっぱい質問をいただきました。
この店の店長教育を頼む・・・ そう言われて「頑張り屋の S店長」の人材教育も任されました。この写真に乗っている 店舗の駐車場まわりの 赤い看板は 色々な経緯が あって、私がプロデュースすることになりました。
「1回見ただけで しっかりと記憶に残るブランドマークを つくらにゃいかんのだろう? あんたの言う通りにするから、あんたが面倒を看てくれ・・・」などとオファーをいただくことになったのです。
お陰さまで、金沢で とっても話題となる店舗がオープンしました。その社長が「地元で会社をやっとる人間を集めるから、あんた、講演をしてくれんかい? 自力で 元に戻せにゃ 、これから先、商売なんぞ できん わい。喝を入れて欲しいんだ」・・・
そんな ご依頼を受けて ただ同然の講演料でOKといって そちらに伺った際には、ニッポンでトップの 有名温泉旅館をポケットマネーで 宿泊予約していたような社長・・・
その日の夜、地元の知人を招いて その旅館で宴会まで開催・・・ たぶん、講演料の何倍も支払ったんじゃないかと思います。
中越地震のローカルな街の復興・・・ これが、この田舎街の「どんたく」という食品スーパーと私をつなげてくれた 最高のチャンスでした。
講演会の後の 懇親会の時に、私は、こんな言葉を彼から聞いたのです。「そろそろ 次の世代にバトンを渡さないといけないね。もう、そういう年だよ。お互い・・・ とにかく、背中だけは しっかり見せておこう。困っていたらお互い様・・・ それが 田舎街の良いところ。それが、ニッポンの良いところなんだから・・・」その言葉に「そうですね」と何ひとつ疑いもなく 頷いたのです。
学校への支援金が足りんだろう? 市議会っちゅうもんを見物に行ってみて つくずく そう思った。うちの会社の売上の1%を ここらへんの 小学校と 中学校に 寄付することに決めた・・・ どうにかせい!と企画部長に考えさせたアイデアを採用じゃ! 田舎の学校で ガンバっている子ども達の環境が悪い・・・ そんなバカなことは あっちゃいかん!
そんなことを平気で言い。そういう寄付を 平気でするような社長でした。
つい先日、その「どんたく」の山口社長が急逝した・・・ という知らせが来ました。石川県の七尾市・・・ 能登半島の ど真ん中の田舎街です。
私は 山口社長の お通夜に 顔を出そうと 足を運びました。そうしたら、駐車場に並びきらないほどの車の列ができていたのです。列席者は1000人を越えていたと言います。
まったく、とんでもない人だったのだと改めて実感しました。
私は間もなく60歳を迎えます。先日 58歳になりました。3歳年上の 故 山口社長は 61歳で お亡くなりになってしまいました。
まだまだ、能登半島の美味しい地酒と 美味しい酒の肴で 杯を交わし合いたかった・・・ 参列した時に、思わず「あんた・・・ もう 話しかけても 返事もせんのかい?」と 呟いた勢いで 涙がボロボロと転び落ちてしまいました。
そして、先ほど 九州で大地震があった・・・とニュースがありました。このタイミングで、NHKのニュースを見ながら、不謹慎にも、こんな風に思うのです。
震源地近くの 熊本・・・ 本当に大変そうですが・・・ 熊本は大丈夫だ・・・必ず復興する。きっと、山口さんのような社長がいる会社がある。
そして、九州の福岡あたりに、私のような バカなコンサルタントが いて、必ず何とかしてくれる・・・ 不思議なもので、その確信、確証たるや 迷いひとつないのです。
絶対に、なんとかなる・・・ 先日の お通夜で 山口さんの笑顔の遺影を見たから かもしれませんが・・・ 絶対に大丈夫・・・ そんな風に思えるのです。家が倒壊している方もいらっしゃるのに 不謹慎ですよね・・・
でも、神戸の震災を現場で体験し、ナホトカ号の重油震災を地元で体験し、中越地震の復興に携わり、東日本 大震災の復興に足を運んだ人間が言うのですから きっと間違いないと思います。
この時間に 自衛隊の人たちが到着している・・・ すごいことです。
神戸の時は自衛隊の人たちが ズーッと来なくて、現場が とんでもないことになったんです。あの街で、あの時、見なくて良い 人間の欲深さ ワガママさ に ホントに イヤになりました。
あの時は「政府なんて ホントに役に立たねぇ・・・ 地元の 気っ風の良い お兄さんや おぢさん の方がよっぽど 礼儀正しくて 筋が通ってる」・・・ なんて 心の底から感じました。
ナホトカの時は、自衛隊の人たちが来るまで 現場が グッチャグチャになっていました。ボランティアの人たちが集まり過ぎて、収集がつかずに 遠方から わざわざ来てくれたボランティアの人が亡くなったりして・・・ ホントに もう、行政がムチャクチャでした。
それが起こったのが 私の住んでいる街・・・ その痛みのなか ボランティアのルールができ、ボランティア支援の行政体制が やっと確立したのです。
その数年後、中越地震の時になって、やっと 自衛隊の人たちが 現場で ガンガン活躍するようになっていました。
東日本 大震災の時・・・ 自衛隊の人たちは ホントにヒーローのような存在でした。自衛隊の人たちは もっと活躍できるだけの訓練をしているのに・・・ と 落ち込んでいらっしゃいましたが・・・ ホントに大活躍してくださったのです。テレビで見る 特撮ヒーローの 何千倍も カッコ良かった・・・
ぶるぶると 震えるような寒さの中での あったかい ご飯・・・ 迷彩服の人たちが 超 こだわった カレーライスを 用意してくれるんです。
あれ・・・ あの とんでもない場所で 食べた人にしか 絶対にわからない味です。もう、涙がボロボロ出ちゃうような味なんです。
思い出しただけで 涙があふれてきてしまいます。まぁ あんな体験、しないですむなら、しない方が良いに決まっているんですが・・・
遠回しな 隠語のような 書きかたをしましたが、神戸のあれを体験した人は、きっと 私の文章を読んだだけで 一緒に あの体験をしたことをご理解いただけると思います。
ナホトカを体験した人も、中越地震を体験した人も・・・ 東日本で 自衛隊の方々にお世話になった人も、私が 体験者であることを ちゃんと理解してくださると思います。
こうやって、ニッポンは ドンドン進化しています。民間企業だって 山口社長のような人を中心に、ドンドン進化してきました。大丈夫・・・ ニッポンは大丈夫なんです。
今夜の九州の震災・・・ 今後 どう復旧し、どう復興するのか しっかりと眺めて、先に天国に逝ってしまった 旧友に・・・私たちの背中を見てくれていた現役バリバリの人たちの活躍を・・・ そうやって復興したプロセスの報告を・・・
先に 断りもなく 逝ってしまった山口社長に 後にゆっくりと笑顔で報告したい・・・ そのように思った夜でした。
「悪いな・・・ 山口 さん・・・ 私には、まだ やらなきゃいけないことがありそうだ・・・ また 震災だよ・・・ 先に、そっちで「日本酒;立山の熱燗 」で、一杯 やっておいてくだされ。今度は 故郷の九州に 墓参りにに行く 口実を作らないとならない話になりそうだ」・・・
【 どうやって、先人が 落とし穴をふさぎながら 抜け道を擦り抜けてきたかを学ぶ。たとえば、タネを蒔く、根が伸びる。芽が出る・・・ それは未来も同じ。
であれば、過去の先人の 汗を学べば 未来が予測できるということ・・・ これが コンサルタントである 私の仕事・・・ そうやって 外さぬ予測を立て続けていくことが私のライフワーク・・・
現場×現物×現実 の学びから 未来を予測する。それがコンサルタントの根幹・・・ 】
山口っさん。しっかり アドバイスを続けるよ。仕事だけで良かったハズが あなたの せい で、ライフワークにせにゃいけなくなったよ・・・・ わかった。やるから・・・ ちゃんと やるから・・・
と、ここまでが、地震直後、午前零時過ぎに書いた内容です。そして、この話には続きがあります。このお付き合いが 今から およそ7年前です。7年前、実は こんな やり取りがあったのです。
「うちのような田舎のスーパーでも、ブランド力っちゅうもんんがつけられるんかなぁ?」
『つけられますとも、ちっとも難しくありません。』
「なに? そりゃぁ カッコ良ぇのぉ。ほうじゃが、何をすりゃぁ良ぇんかいのぉ?」
『儲かった仕事で ソンして本業をやれば良いんです』
「どういうことや?」
『たとえば、北海道のコンビニ、セイコーマートは、過疎地にもコンビニを建ててしまいます。儲かっている利益を 還元して「本業をして過疎地を救うこと」に使っているんです』
「そりゃぁ あんた・・・ コンビニ規模ならなぁ。うちは食品スーパーやで規模が違うで 無理やなぁ・・・初期投資とランニング損失が大きすぎるわ。」
『なるほど・・・ では、こういうのは どうですか? 販売用の自動車で 過疎地を巡回する。過疎地域にいる お年寄りの近くまで 自動車スーパーで販売に行く、週に何度か顔をだして、そこに暮らす お年寄りが元気にしているか? 確認する。そういう事例もあります。』
「そりゃぁ良ぇなぁ・・・ そりゃぁ良い。どうやってやるんかい? どこに行ったら見れるんかい?」
『たしか・・・ 埼玉の秩父の商店街連合会が、そういうことを 組合でやっていらっしゃったハズです』
「おぉ・・・わかった。そりゃぁ良ぇ・・・ 部長、あんた、それを やってくれんか? そりゃぁ うちの会社らしゅうて良ぇ・・・ そう思うじゃろう? 形は 少々変わっても良ぇ。うちの会社らしゅう できりゃぁ そんで良ぇ。そりゃぁ 店が近くにないお年寄りは喜ぶ。このへんじゃ うちの会社にしかできん。それをやろう・・・ な、部長・・・」
《 はい。色々調べて 段取りしてみます・・・》
そして、この話題は これっきり・・・ しばらく こちらの会社とも 連絡を取り合わなくなってしまいました。そして、先日、この山口社長の葬儀が行われたのです。
2016年、6月8日・・・
一昨日、さらに、その部長から、こんな連絡が入ってきました。
「やっと 本日、第1号車がスタートします。」
この言い回し・・・ 1号車だけでは 絶対に終わらない・・・という 謙虚な あの部長らしい 底力のある言い回し・・・
この連絡を見るなり、涙がボロボロと こぼれ出してしまったのです。・・・まったく、たまらんことを 何度も 何度も やってくれる顧問先です。ホントに・・・
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