「加納 光」の Blog

「ふと感じたこと」



2016.03.21

礼儀

By Kanou Hikaru

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礼儀をわきまえる ということ

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50代なかばの「業績向上の人材育成コンサルタント&業績向上ビジネスセミナーの講師」言わば「うまくいく勉強会の せんせぇ」という仕事をしている「おっちゃん」には、これから日本を背負って立つ若い人たちに理解しておいてもらいたいことがあります。

多くの上司や先輩が口をそろえて「若い人は礼儀を知らない」と言います。そして、この「礼儀」こそが「社会で生きていくためのソンをしない考え方(行動の根っ子)」なのです。残念なことに、最近の若い人は「こういう話」を、あまり耳にしたことがないようです。

それは「大人」にも問題があります。知りもしないこと、説明を受けてもいないことを「やれ」だの「できていない」だの・・・ 自分が「説明をする」という手抜きをしておいて上から目線でケチだけつけることには問題がある・・・と私も思います。

しかしながら、知っていようが知っていまいが「できているかどうか」で判断されるのが社会人の「決まり」です。こればかりはどうすることもできません。極端に言えば「知らなくともできていれば良い」というのが「大人の社会」の「考え方」なのです。

私は、最近の若い人たちは非常に優秀だと思っています。それは、説明する側が「キチン」と説明すれば、ちゃんと理解して即実践できるからです。そう信じているからこそ、私は「このような投稿」を続けているのです。問題があるとすれば、説明されて納得しなければ動けないということ・・・カンの良い人は、ちょっとした体験から多くを学ぶことができます。

しかしながら、1から10まで説明をされなければ動けない、変われない・・・というのは問題です。確かに大人も悪い・・・ しかし「変わらない」のは自己責任ということもシッカリと理解しておいてください。

今回は「礼儀」について話をしたいと思います。最近は「アナログの辞書」を使って調べモノをする人が、めっきり減ってしまいました。人間は本来「アナログな生き物」です。そこに「デジタル」という「手抜きのための道具」た登場したこと、その「手抜き道具」に頼り過ぎている人ほど「貧乏くじ」をひいているように思います。

さて・・・「礼儀」の「礼」は「組織の中で、上手に生き抜くための言動」を言います。多くの先輩や先祖たちが「試行錯誤」した中から「こうしておけば、ドツボにハマることはない」という「賢い知恵」のことです。「偉い人が思いついた理屈」ではなく「多くの諸先輩の実践の中から生まれてきた手法」のことを言います。

「礼」という言葉を聞いて、誰もが思いつくのが「お礼」という言葉だろうと思います。「礼」というのは、カンタンに言えば「感謝する」という意味。「ドツボにハマりたくなければ、とにかく自分の周りの人に感謝をしておきなさい」というのが「過去を生きた何億万人もの人」が試行錯誤をして出した結論なのです。

もし、それが違っていたならば「そんな結論」は、コッパミジンになって現代に残っているハズもありません。たとえ「最高の答」ではなくとも「間違えることはない」という「最良の答」が「礼を重んじる」ということ・・・ 逆に言えば「礼を軽んじること」は「間違え」なのです。

「礼」の代表とも言える行動が「挨拶」です。朝起きて、家族に会ったら「おはようございます」と「挨拶」をする。それは「毎日お世話になって・・・ 今日もお世話になって、ありがとうございます」という「お礼を伝える行為」を意味しています。

街で出会った人に「おはようございます」と挨拶をする・・・ それは「具体的にはわかりませんが、きっと世の中の役に立っていらっしゃる人に違いないでしょう。きっと、私にも恩恵があるのでしょうから・・・ ありがとうございます」・・・このような「気持ちを表すこと」なのです。

つまり「周りにいる人に感謝できる人」だけが「組織」や「世の中」で生きることができる・・・ そういう風に考えて行動すると「ほとんど間違いが起こらない」という結論を、何千年もかけて我々の先祖たちが導き出し、それが間違っていなかったからこそ、現代にも「その哲学」が生き残っているのです。

「礼」の反対語は「無礼」です。つまり「感謝がない」という意味・・・ 自分の周りの人たちに感謝する気持ちのない人を「無礼な人」と言うのです。当然のことながら「挨拶をしない人」も「無礼な人」です。こういう人が、いちいち「仲間はずれ」にされドツボにハマっているのです。

次に「礼儀」の「義」について説明をします。「義」の反対語は「罪」です。「罪」とは「社会的道徳に反したことで化される制裁」のことです。全てを引っ繰り返して「逆」から考えると「礼儀」の意味もハッキリしてきます。

「無礼であれば罪である」というのが「礼儀」の反対の意味・・・「自分を取り囲む周りの人たちに感謝の気持ちが無い人は、それだけで犯罪だ」・・・だから「自分を取り囲む周りの人たちに感謝の気持ちをもって、油断して罪を犯すようなことのない言動をしようじゃないか」・・・というのが「礼儀」という言葉の意味なのです。

このように、過去を生きた何億万人もの諸先輩が体験を通した「教訓」を「古い話だ」とバカにすることはカンタンなことです。しかし、そこには「小理屈」ではない「命をかけた実体験」があったのです。そのような「自分の先祖の人生」をバカにすることこそ「無礼」な話なのかもしれません。

「無礼」は「罰」を伴います。「感謝しないこと」は「罪」なのです。これを「感謝できない」などと言い出す人も少なくありません。しかし「できない」というのは「ガキのイイワケ」と考えるのが「働いて給料をいただく人の基本」なのです。しようと思えばできる・・・ これが社会人の標準なのです。

会社で挨拶をしない人・・・こういう人は「諸先輩に感謝していないなら、何も教えてやらない。何も手伝ってやらない。自分1人で勝手にやれ・・・」と干されることになります。これこそが「無礼」が招いた「罪」です。「感謝の気持ちを込めた挨拶」ができない人は「干される」という「罪」を自分で招くことになってしまうのです。

このような投稿を書いていながら「あぁ・・・間もなく母の日だなぁ・・・」などと思いました。その日だけ・・・というのは「無礼」です。せっかくですから、今まで照れ臭かった人も「今度の母の日」から「感謝の気持ち」を込めて「おはよう」と言うようにするのはいかがでしょうか・・・

この話・・・ 挨拶なんて面倒なことはしなくとも・・・と考え、結局、自分の評価を落してしまった経験があり、その後「感謝しなきゃソンする」といった行動を変えたことで、自分の評価が上がった・・・という経験がある大人にしか共感できない話かもしれません。

しかし「いいね!」をクリックする大人がいらっしゃった時には「このおっちゃんの話・・・まんざらウソでもないんだ・・・」と思ってください。この日記が、人間関係が何だか上手くいかない・・・と落ち込んでいらっしゃる方々の目にとまることを願って・・・



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